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2005年08月26日
スペイン/リーガ・エスパニョーラ
《正式名称》 La Liga
《通称》 リーガ・エスパニョーラ
【国】 スペイン
【創設】 1928年
【統括】 スペインプロサッカーリーグ (LFP)
【UEFAランキング】 1位
《国内1部リーグ》
【名称】 Primera division プリメラ・ディビシオン
【参加クラブ数】 20チーム
【優勝回数最多クラブ】 レアル・マドリード:29回
【昨季の優勝クラブ】 バルセロナ
【昨季の得点王】 フォルラン (ビジャレアル) :25得点
《国内カップ》
【名称】 コパ・デル・レイ
【優勝回数最多クラブ】 バルセロナ:24回
【昨季の優勝クラブ】 ベティス
《国内スーパーカップ》
【名称】 スーペル・コパ
【優勝回数最多クラブ】 レアル・マドリー , バルセロナ :6回
【昨季の優勝クラブ】 バルセロナ
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スペイン/コパ・デル・レイ
《正式名称》 Copa de Su Majestad el Rey Alfonso XIII
《通称》 コパ・デル・レイ (国王杯)
【国】 スペイン
【創設】 1902年
【統括】 スペインサッカー連盟 (RFEF)
【参加クラブ数】 前季の1部所属20チーム、2部A所属22チーム、2部B所属4組各上位5チームと残りの勝ち点上位3チーム、3部所属18組各優勝チーム
【優勝回数最多クラブ】 バルセロナ:24回
【昨季の優勝クラブ】 ベティス
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スペイン/スーペル・コパ
《正式名称》 Supercopa de Espana
《通称》 スーペル・コパ (スペインスーパーカップ)
【国】 スペイン
【創設】 1982年
【統括】 スペインサッカー連盟 (RFEF)
【参加クラブ数】 前季の1部リーグ優勝クラブと国王杯優勝クラブ。
【優勝回数最多クラブ】 レアル・マドリー , バルセロナ :6回
【昨季の優勝クラブ】 バルセロナ
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スペイン/04-05順位表
2004-2005シーズン スペインリーグ順位表
【1部】
1.バルセロナ → 欧州CL本選
2.レアル・マドリード → 欧州CL本選
3.ビジャレアル → 欧州CL予備選3回戦
4.ベティス → 欧州CL予備選3回戦
5.エスパニョール → UEFAカップ
6.セビージャ → UEFAカップ
7.バレンシア → インタートトカップ
8.デポルティーボ → インタートトカップ
9.アスレティック・ビルバオ → インタートトカップ
10.マラガ
11.アトレティコ・マドリード
12.レアル・サラゴサ
13.ヘタフェ
14.レアル・ソシエダ
15.オサスナ → UEFAカップ
16.ラシン・サンタンデール
17.マジョルカ
18.レバンテ → 2部降格
19.ヌマンシア → 2部降格
20.アルバセーテ → 2部降格
【2部】
1.アラベス → 1部昇格
2.セルタ → 1部昇格
3.カディス → 1部昇格
【国内カップ】
優勝:ベティス
準優勝:オサスナ
ベスト4進出:アスレティック・ビルバオ、アトレティコ・マドリード
※優勝したベティスが欧州CLに出場するためUEFAカップ出場権は準優勝のオサスナへ。
【国内スーパーカップ】
優勝:バルセロナ
準優勝:ベティス
※2005年8月開催。
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2005年08月25日
バルセロナ
《正式名称》 Futbol Club Barcelona
《ユニフォームカラー》 青/エンジ
【本拠地】 バルセロナ
【創立】 1899年
【スタジアム】 カンプ・ノウ
【スタジアム収容人数】 98,772人
【国内タイトル】 国内リーグ:17回、国内カップ:24回、国内スーパーカップ:6回
【国際タイトル】 欧州CL:1回、UEFAカップ:3回、欧州カップウィナーズカップ:4回、欧州スーパーカップ:2回
【過去の所属選手】 サミティエール、クバラ、ルイス・スアレス、ヨハン・クライフ、ロマーリオ
【現在の会長】 ジョアン・ラポルタ
【現在の監督】 フランク・ライカールト
【現在の所属選手】 ロナウジーニョ、エトー、シャビ、デコ、プジョル
【昨季の成績】 国内リーグ1位
レアル・マドリードと並ぶスペインの名門クラブ、というより、“スペイン”ではなく“カタルーニャ地方”を象徴するクラブといったほうが正しいかもしれない。
カタルーニャ州はスペインの北東、地中海側に位置する自治州で、州都はバルセロナ、人口は全州の中で2番目、また、カスティージャ語(一般的にスペイン語)と共にカタルーニャ語を公用語としている。独裁者フランコの時代に政府の庇護を受けてきたレアル・マドリードとは対照的に、抑圧されるカタルーニャのシンボルとして地元で絶大な支持を得てきた。
単独クラブが保有するスタジアムとして欧州最大である「カンプ・ノウ」や、「ブラウ・グラーナ」と呼ばれる青とエンジの縦縞のユニフォームの胸にスポンサーを付けないことなどは有名だろう。現在は世界的な人気を誇ることもあり、約13万人の「ソシオ」と呼ばれるクラブ会員を持つ欧州屈指のビッグクラブであるといえる。(前のローマ法王は会員ナンバー10,800番目のソシオであった。)
カタルーニャのシンボルとはいえ、その財力は世界有数で、古くから多くのスター選手を抱えてきた。1920年代から1930年代にかけては、当時のスペインを代表する伝説的な選手であるサミティエールやリカルド・サモラ。1950~1960年代には、バルセロナ史上最高の選手と評価する声もあるハンガリー人ラディスラオ・クバラ(1951~1961年)、スペイン史上最高の選手の一人だといわれるルイス・スアレス(1953~1961年)らが活躍した。
クバラを加えたバルセロナは1951-52シーズン、国内リーグと国内カップの2冠を達成すると、ラテン・カップ(欧州CC発足前にスペイン、ポルトガル、フランス、イタリアの王者が集い対戦していたカップ戦)でもユベントスらを破り優勝。クバラ時代の10年間、ちょうど首都の白い巨人の黄金期と重なっていたにもかかわらず、バルセロナは国内外で多くのタイトル(国内リーグ4回、国内カップ4回、ラテンカップ1回、欧州フェアーズカップ2回)を獲得することに成功している。彼らの他には、スペイン代表GKとしても活躍したアントニオ・ラマジェッツ、今でもバルセロナのクラブ記録となっているクラブ通算194得点を挙げたセサール、1950年代後半に加入した“マジック・マジャール”の主力メンバーである点取り屋コチシュや左ウィングのチボールらがいた。
クバラ、スアレス以降、長くリーグ優勝から遠ざかったバルセロナだが、1973年に“空飛ぶオランダ人”ヨハン・クライフがアヤックスより加入すると、14年ぶりに国内リーグ制覇を果たす。当時のスペインはフランコ独裁政権下であったたため、マドリード寄りのジャッジが吹かれていたといわれ、この優勝はカタルーニャの人々にとってただの一回以上の意味を持っているようだ。
まず、アヤックスでクライフをデビューさせたイギリス人バッキンガムが1970年にバルセロナ監督へ就任する。彼は個人的な事情から1年でクラブを去るが、次にバルセロナを訪れたのは他でもない、1970-71シーズンにアヤックスを欧州王者へ導いたばかりのリヌス・ミケルスであった。ミケルスのバルセロナは初めのシーズンに3位、翌72-73には2位となる。
そして迎えた73-74シーズン、名将ミケルスと名手クライフがアヤックス以来となるコンビを組み、現役時代にはチームメイトとして、後に助監督としてもクライフを支えた右ウィングのカルレス・レシャックらを擁するチームは念願の国内リーグ優勝を飾ったのだった。
とりわけアウェイのサンティアゴ・ベルナベウでレアル・マドリードを粉砕した試合(スコアは0-5)は今でも語り草となっている。また、独裁政権下のスペインでレアル・マドリードへの敵意を公言して憚らなかったクライフという人物は、ピッチの中でも外でも、バルセロナファンにとって衝撃でありセンセーションであったのだろう。
一気にカタルーニャのアイドルになったクライフだが、1978年には一時引退をはさんでから米国リーグへと去っている。その5年間にチームへもたらしたタイトルの数は1974年のリーグ優勝と1978年の国内カップ優勝の2つのみ。選手時代のクライフが所属したバルセロナは、ミケルスの更迭、ドイツの名監督へネス・バイスバイラーの招聘、バイスバイラーとクライフの確執、ミケルスの再任など、何かと問題も絶えなかったようだ。1977-78シーズンをもって、クライフとミケルスのバルセロナは終焉を迎える。クライフ加入の翌年に加わったオランダ代表MFヨハン・ニースケンスも、クライフの後を追うようにして米国リーグへと移籍した。
1980年代には、デンマークのシモンセン、ドイツのシュスター、アルゼンチンのマラドーナ、イングランドのリネカーらがバルセロナのユニフォームを着ている。とりわけ“ブロンド・エンジェル(金髪の天使)”の愛称で知られる天才MFシュスターは、所属した1980年から1988年まで常にチームの中心としてタイトル獲得に貢献し、1980年代のバルセロナを象徴する選手であったといえるだろう。
一方、1982年にアルゼンチンの名門ボカ・ジュニオルスから鳴り物入りで加入したマラドーナは、スーパープレーを披露することもあったが、大怪我などもあり実力ほどの活躍を見せないまま1984年にイタリアのナポリへと去っている。
1990年代前半はクライフが今度は監督としてバルセロナを訪れ多くの栄光をもたらした「ドリームチーム」の時代で、ロナルド・クーマン、ミカエル・ラウドルップ、ストイチコフ、ロマーリオらの世界的なスター選手たち、グアルディオラ、アモール、フェレールなどの地元カンテラ出身選手たち、バケーロ、ベギリスタイン、ゴイコエチェア、サリナス、スビサレッタといった才能豊かなバスク出身選手たち、の三者が上手く融合し、この上なく美しいハーモニーを奏でた。
国内ではレアル・マドリードに次ぐ優勝回数、UEFAカップの前身であるフェアーズカップや欧州カップウィナーズカップでも優勝を何度も経験していたバルセロナだが、欧州最高峰の大会とされる欧州CCに関しては巡り合わせが悪く、クバラとスアレスを擁した時には「ベルナの悲劇」、シュスターの時代には「セビージャの悲劇」で、共に決勝戦での負けが続いていた。しかし、クライフ監督率いるドリーム・バルサの時代には、とうとう念願の欧州CCのタイトルも獲得している。
就任した1988-1989に欧州カップウィナーズカップを制し、翌シーズンに国内カップのタイトルを獲ると、1990-1991から1993-1994まで国内リーグ4連覇を遂げたクライフのドリームチーム。誰もが息を呑むスペクタクルなサッカーを展開し、1991-1992シーズンにはクラブ史上初の欧州CC優勝まで果たし、至福の時間をサポーターたちと分かち合った。
試合内容もさることながら、91-92(2位はレアル・マドリード)、92-93(2位はレアル・マドリード)、93-94(2位はデポルティーボ)が、全て最終節での逆転優勝だったという事実には驚くほかない。強く、美しく、印象的で、奇跡的なチームだったということ。
ブラジルの天才ロマーリオが加入した93-94シーズンには、カンプ・ノウのレアル・マドリード戦で5-0(ロマーリオはハットトリック)のスコアを叩き出し、最終節にセビージャを5-2(このときもロマーリオがハットトリック)で破り、逆転優勝を決めたのだった。遠地ギリシャで大敗を喫した欧州CL決勝ACミラン戦の日程が、そのリーガ最終節の数日後であったというのだけは今でも悔やまれることだろう。
見事に国内リーグ4連覇を果たしたクライフのドリームチームだが、歯車が狂い出すと早いもので、1994-1995に入ると一気に下降線を描き出す。シーズン前の段階でミカエル・ラウドルップ、サリナス、スビサレッタらを放出し、シーズン途中にエースのロマーリオも失うと、最終的にバルセロナは4位まで順位を落とす。と同時にクライフ政権7季目にして初の無冠となった。シーズン後にはクーマン、ストイチコフ、ベギリスタインらも退団し、完全に一つのサイクルが終焉することとなる。翌1995-1996、すでにヌニェス会長と対立していたこともあり、シーズン終了を待たずしてクライフは電撃更迭され、これをもってドリームチームは完全に消滅したのだった。
1996-1997シーズン前、イングランドの名将ボビー・ロブソンがクライフの後釜として招聘され、目玉選手としては若き怪物ロナウドが加入した。そして、ロブソン監督は国内スーパーカップ優勝、国内リーグ2位(優勝したレアル・マドリードに勝ち点2差)、欧州カップウィナーズカップ優勝、国内カップ優勝という好成績を残し、ロナウドは34得点を挙げ国内リーグ得点王に輝いた。
しかし、ドリームチームを忘れられないサポーターたちはロブソンのカウンター・サッカーを認めず、結局はその1年で更迭となっている。岐宿もロブソン・サッカーの中心であったロナウドも、違う理由でバルサを去ることとなった。鮮烈な活躍により彼の移籍金は高騰し、チームは引き止めることができなかったようだ。ちなみに、このシーズンにレアル・マドリードからバルセロナへ移籍してきたスペイン代表ルイス・エンリケは、質の高いプレーと抜群の闘争心から多くのファンに愛され、2004年の現役引退までクラブに長くとどまっている。
偉大なるドリームチームの崩壊以後、選手の出入りも激しく、なかなか方向性を見出せないバルセロナであったが、1997年にそういった流れを変える出来事が起こる。新しいオランダ人監督ルイス・ファンハールの就任と、新しいブラジル人選手リバウドの加入である。
オランダのアヤックスを率いて国内リーグ優勝5回、欧州CL優勝1回、UEFA杯優勝1回という物凄い実績を引っさげ登場した欧州屈指の名将に、当時のバルセロナサポーターは大きな期待を抱いたに違いない。アヤックス時代のファンハールは若い選手たちを中心にチームを機能させ、攻撃的なサッカーを実践していた。それに、アヤックスから来たオランダ人という文句が人々の心をくすぐったに違いない。ところが、ことは必ずしも上手くは運ばなかった。
ファンハールが率いた1997-1998~1999-2000シーズンのバルセロナは、リバウドの活躍もあり国内リーグ優勝2回、国内カップ優勝1回という立派な成績を挙げる。しかし結果以上に問題が絶えず、ファンハールによる“リバウドの左サイド起用”や“チームのオランダ化”は、メディア及びサポーターから大きなバッシングを受け続けた。
とりわけオランダ化は顕著で、実際にファンハール時代の3年間でバルサに加入した選手のほとんどがオランダ人(ヘスプ、ボハルデ、ライジハー、クライフェルト、ゼンデン、コクー、デブール兄弟)、もしくはアヤックス出身選手(リトマネン)といった具合。逆にデ・ラ・ペーニャ、アモール、フェレール、セラーデス、ロジェールら多くのカンテラ出身選手が放出されている。
オランダ人選手の中でファンの信頼を完全に勝ち得たといえるのはコクーのみであろう。堅実で万能な選手であるコクーは主力として長くチームに在籍し、キャリアの後半ではキャプテンマークを巻くことさえあった。外国人選手のクラブ史上最多出場記録も樹立している。
首脳陣の対立やオランダ化などFCバルセロナの周辺は次第に騒音ばかりが目立つようになり、1999-2000シーズンが無冠に終わると、ヌニェス会長、ファンハール監督共々クラブを去った。後任の会長にはヌニェス時代に副会長を務めていたガスパールが就任したが、状況は悪くなる一方で、クラブは完全崩壊へと向かっていく。
それを象徴するかのような出来事がこの2000年に起きた。まだ記憶に新しい、ルイス・フィーゴのレアル・マドリード移籍である。1995年からバルセロナに在籍し、ファンからの信頼も厚かったこの優れたポルトガル人フットボーラーの移籍は、一時的な衝撃を与えるにとどまらない。2000-2001シーズン、フィーゴを得たマドリードは国内リーグを制し、以後も低迷するバルセロナを横目にタイトルを獲り続けていくこととなる。
2001年には再びバルセロナサポーターにショックを与える出来事があった。長くチームを引っ張ってきたキャプテンのグアルディオラが退団を表明したのだ。フィーゴの移籍はサポーターの心に憎しみを生んだが、グアルディオラの場合は、ただただ悲しみを残すだけであった。続いて2002年には、入団以後ずっとチームのエースであり王様だったブラジル代表の10番リバウドが退団を発表し、2002-2003は散々なものとなる。ガスパール会長はシーズン途中に辞任し、クラブは6位という1987-1988以来最低となる成績でシーズンを終えた。
ちなみに、カンプ・ノウのボール・ボーイからスタートし1990年に18歳でトップチームへ昇格、以後、2001年まで不動のレギュラーとして活躍し続けキャプテンも務めたクラブ生え抜きのアイドルであるグアルディオラは、激動の1990年代全体のバルセロナを代表する選手であったといえるだろう。一方、1997年に加入以降、圧倒的な個人能力を発揮し続け、FIFA年間最優秀選手もバロン・ドールも受賞したリバウドのほうは、1990年代後半のリーガ・エスパニョーラで最高の選手に位置付けられる。
慢性化した危機を乗り越える光が見え出したのが、2003-2004シーズン前のこと。ラポルタ新会長就任と、彼が連れてきた新しいブラジル人スター選手ロナウジーニョ入団である。
このシーズンも序盤は失速し、早くも新監督であるライカールトの更迭が噂されたりもしたが、後半戦に奇跡的な快進撃を遂げ、最終的には国内リーグの2位まで這い上がることに成功した。タイトルまでは届かなかったが、何より説得力を持っていたのはロナウジーニョを中心としたサッカーの内容である。それがサポーターの心に期待を持たせ、カンプ・ノウは再び活気を取り戻し始めたのだろう。
そして迎えたラポルタ体制2年目にあたる昨季、青年監督ライカールト、キャプテンのプジョル、唯一無二の存在ロナウジーニョ、新加入のスター選手エトーやデコらに率いられた若さ溢れるバルセロナは、前年以上に魅力的なサッカーを披露し、6年ぶりとなる国内リーグ優勝を飾った。
2005-2006シーズン前には、主力の放出もなく、PSVのオランダ代表ファン・ボメルやアスレティック・ビルバオのエスケーロといった有力選手を補強。長期離脱していた怪我人の復帰や新たな才能メッシーの出現など、明るい話題が絶えない。
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レアル・マドリード
《正式名称》 Real Madrid Club de Futbol
《ユニフォームカラー》 白
【本拠地】 マドリード
【創立】 1902年
【スタジアム】 サンティアゴ・ベルナベウ
【スタジアム収容人数】 80,000人
【国内タイトル】 国内リーグ:29回、国内カップ:17回、国内スーパーカップ:7回
【国際タイトル】 欧州CL:9回、UEFAカップ:2回、欧州スーパーカップ:1回、インターコンチネンタルカップ:3回
【過去の所属選手】 アルフレッド・ディ・ステファノ、プスカシュ、ヘント、ウーゴ・サンチェス、ブトラゲーニョ
【現在の会長】 フロレンティーノ・ペレス
【現在の監督】 バンデルレイ・ルシェンブルゴ
【現在の所属選手】 ラウール、ジダン、ベッカム、ロナウド、ロベルト・カルロス
【昨季の成績】 国内リーグ2位
スペインのみにとどまらない、世界を代表する強豪クラブといえよう。クラブレベルにおいて世界で最も難しい大会であると考えられている欧州CL(CC時代を含む)で最多の優勝回数を誇り、FIFAによって「20世紀最高のクラブ」にも選ばれている。
スペインの首都マドリードに本拠を置くので地元のライバルはアトレティコ・マドリードということになるが、最大のライバルはカタルーニャの雄FCバルセロナであり、両者の対決「エル・クラシコ」(伝統の一戦)は現在、世界中のサッカーファンから注目されるビッグカードの一つとなっている。
創立は1902年だが、現在のスタジアムの名前にもなっている英雄サンティアゴ・ベルナベウが会長職に就任するまでのレアル・マドリードは、国内の強豪クラブの一つでしかなかった。1928年から始まった国内リーグでも、初優勝をバルセロナにさらわれると、その後の実績もアスレティック・ビルバオなどには及ばない状態が続く。
当時のスター選手では、1912年にマドリードでデビューし後に会長にもなったサンティアゴ・ベルナベウ、バルセロナやエスパニョールを経て1929年に首都へと移籍した伝説的なGKリカルド・サモラらがいた。また、1932年にはバルセロナのスター選手サミティエールと契約し当時から世間を賑わしていたようだ。
レアル・マドリードの“レアル”とは“王の、王室の”という意味で、その称号が与えられたのは1920年だが、よくスペインで言われているような国や政府の庇護を受けてきたクラブというイメージが生まれたのは、独裁者フランコの存在があったからだと思われる。フランコは当初それほどサッカーに興味を持っていなかったが、レアル・マドリードが欧州を制してから、サッカーが持つ国際的な影響力を最大限に利用しようとしたといわれている。欧州CC制覇による反響の大きさを知って以降、彼のレアル・マドリードに対する支持は、亡くなる1975年まで続いていたようだ。
1920年にレアルとなり、1939年にはフランコが登場していたが、レアル・マドリードは1935年から1953年まで長く国内リーグ優勝から遠ざかっている。よって、国内レベルのクラブを世界的なクラブへと押し上げたのは、やはりベルナベウであり、ディステファノであるといったほうが正しいだろう。
1943年にサンティアゴ・ベルナベウ会長が就任すると、レアル・マドリードは、スペインを代表する世界的な強豪クラブになることを目標に掲げ、スター選手獲得へ力を入れ始める。その最もたる例が、バルセロナとの争奪戦の末、1953年に加入したアルゼンチン出身の名手アルフレッド・ディ・ステファノだ。
これは水面下における政治的な力であったり陰謀であったり、様々な憶測やエピソードと共に語り継がれている。二転三転の末、世界最高の選手を得たレアル・マドリードは、1953-1954シーズンに21年ぶりとなる国内リーグ優勝を果たし、以後もスター選手を加えながら、国内外で多くのタイトルを重ねていった。
1950年代後半にそのディステファノ、ハンガリーのプスカシュ、フランスのコパ、スペインのヘント、アルゼンチンのリアル、ウルグアイのサンタマリアらを擁し、欧州CCを5連覇した伝説のチームは余りにも有名。1960年代にはチームを支えてきた外国人選手が軒並みクラブを離れたが、今度はヘント、アマンシオ、ピッリら優れたスペイン人スタープレイヤーを中心に据え“イェーイェース”と呼ばれたチームが欧州CCを制し、国内でも多くのタイトルを獲得した。
1970年代になると国際タイトルからは遠ざかるが、サンティリャーナ、ファニート、ピッリ、カマーチョ、デルボスケなどのスペイン代表選手にドイツのネッツァー、ブライトナー、シュティーリケらを加え、クライフやニースケンスといったオランダ人スター選手を獲得していたバルセロナと激しい覇権争いを繰り広げている。近年にレアル・マドリードの監督を務めたカマーチョ、デルボスケ、ガルシア・レモンらは、この頃から選手として活躍しクラブへ貢献していた。
1980年代は、メキシコの英雄ウーゴ・サンチェス、ドイツの天才シュスター、アルゼンチンの賢人バルダーノらと共に、ブトラゲーニョ、ミチェル、マルティン・バスケス、サンチスらのクラブ下部組織から育った選手たち“キンタ・デル・ブイートレ”が活躍した時代として知られる。カンテラ上がりの選手が多く、また、彼らがチームの骨格を形成していたこともあり、とりわけ地元ファンを大いに喜ばせた。
1980年代の後半は国内リーグ5連覇、UEFAカップ2連覇などの成功を収めたが、1990年代前半になると国内では完全にクライフ監督率いるバルセロナの後塵を拝し、また、チームが欧州王者から長く遠ざかっていたこともあり低迷が叫ばれた。
しかし1990年に現役を引退していたホルヘ・バルダーノが1994‐1995シーズンに監督に就任すると、17歳4ヶ月の若き天才ラウールをデビューさせ、久々のリーグ優勝を遂げる。これ以降、チーム状態は徐々に上向きになり、1990年代後半にはラウール、イエロ、レドンド、ロベルト・カルロス、ミヤトビッチ、スーケル、モリエンテスら多くのスター選手を有したチームが再び欧州の頂点に返り咲き(32年ぶりとなる欧州王者)、新たな黄金期へと突入した。
数年後に大会歴代最多得点記録保持者となるラウールを中心とした圧倒的な攻撃力と勝負強さを武器に、とりわけ欧州CLにおいて、5年間で3度の優勝(97-98優勝、98-99ベスト8、99-00優勝、00-01ベスト4、01-02優勝)を果たし、歴史的に見ても極めて優れた成績を残したチームであったといえる。
直後にW杯フランス大会を控えた1998年CL決勝戦のマドリードは至宝ラウールを筆頭とするスペイン代表選手の面々に加え、W杯得点王となるスーケル、準優勝ブラジルのロベルト・カルロス、ベスト4オランダのセードルフらが揃い、一方のユベントスは天才デル・ピエーロを筆頭とするイタリア代表の面々に加え、地元でW杯初優勝を飾るフランスのジダン、デシャン、ベスト4オランダのダービッツといったスター選手が並んでいた。
CL史上初の同国対決となった2000年の歴史的な決勝戦では、準決勝で同じくスペインのバルセロナを破り大会に旋風を巻き起こしていたクーペル監督率いるバレンシア相手に、モリエンテス、マクマナマン、ラウールのゴールで見事な勝利を収めている。
会場がスコットランドのハンプデンパーク(1960年の欧州CC決勝でディステファノ、プスカシュらが名試合をした場所)だったということもあり、試合前から盛り上がりを見せた2002年の決勝では、直後のW杯コリア・ジャパン大会で決勝まで進んだドイツのバラック、シュナイダー、ラメロウらが率いる強力な伏兵レバークーゼンと一進一退の攻防を繰り広げたが、ラウールの先制ゴール、ジダンのスーパーボレー、カシージャスの好セーブの末、見事に優勝を飾った。
彼らの残した素晴らしい結果同様、決勝戦がいずれも華やかな好カードとなったことで、多くの人々の記憶に今でも深く刻まれているといえるだろう。
2000年に現在のフロレンティーノ・ペレスが会長となり、バルダーノがゼネラル・マネージャーに就任してからはバルセロナのフィーゴ、2001年にユベントスのジダン、さらには2002年W杯の直後にロナウドと、欧州のビッグクラブからのスター引き抜きに成功している。2003年にはマンチェスター・ユナイテッドのベッカム、2004年にはリバプールのオーウェンも加入した。
財界から高い評価を受けるフロレンティーノ・ペレス会長が就任してから商業的にメリットのある選手を重宝する傾向にあり、実際、経営面では成長を続けている。スター選手補強、アジアツアー、グッズ販売などは一連のプロジェクトの下に行われているといえるだろう。
しかし、スター選手を獲得する一方で、2003年にはバルダーノがフロントから離れ、世界最高の守備的MFの一人であるフランス代表マケレレ、長年クラブを支えてきたキャプテンのイエロ、様々なポストでクラブに携わってきた監督デルボスケらを軒並み放出するなど、チームの編成面では疑問の声も多かった。
実際、ここ数年のレアル・マドリードは、安定感のない戦いぶりで2年連続の無冠という屈辱を味わっている。注目度は高く、ことあるごとにメディアを賑わしているが、ピッチ上では結果も内容も伴っているとは言い難い。
新シーズンはポルトガル代表のフィーゴ、イングランド代表のオーウェンといったバロン・ドール受賞者の二人を一挙に放出すると、ウルグアイ代表のパブロ・ガルシア、ディオゴ、ブラジル代表に名を連ねるロビーニョ、バプティスタ、将来性溢れる若きスペイン代表DFセルヒオ・ラモスらを次々に補強し、巻き返しが期待されている。
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ビジャレアル
《正式名称》 Villarreal Club de Futbol
《ユニフォームカラー》 黄/青
【本拠地】 ビジャレアル
【創立】 1923年
【スタジアム】 エル・マドリガル
【スタジアム収容人数】 23,000人
【国内タイトル】 -
【国際タイトル】 -
【過去の所属選手】 クライオベアヌ、ビクトル、パレルモ、ベレッチ、レイナ
【現在の会長】 フェルナンド・ロイグ
【現在の監督】 マヌエル・ペジェグリーニ
【現在の所属選手】 リケルメ、フォルラン、ホセ・マリ、ソリン、セナ
【昨季の成績】 国内リーグ3位
ビジャレアルCFは一際目立つ黄色いユニフォームと昨今の大躍進で広く知られるようになった新興クラブ。そのユニフォームカラーから、ビートルズの有名曲にちなみ“イエロー・サブマリン”、もしくは“サブマリンズ”の愛称で呼ばれることが多い。
地名でもあるビジャレアルは、“王の”という意を持つ“レアル”と、“町、都市”を示す“ビジャ”、つまり“王の町”を意味する。ここでいう“レアル”は、レアル・マドリードなどスペインの複数のクラブが冠している“スペイン国王の”という意味の称号とは全く別のものだとか。こちらは、スペイン統一前、バルセロナを中心にイベリア半島北東部からシチリア島に及ぶ地中海地域で栄えたアラゴン王国の国王を示す。よってエンブレムの王冠も他のクラブとは明らかに違う形をしている。
本拠地ビジャレアルは、バレンシアーナ自治州の片隅に位置する人口約4万6千人ほどの小さな小さな田舎町。よって町の人口の約半数を収容できるホームスタジアム“エル・マドリガル”が満員になることは滅多にない。2万3千人収容というとスペインでは少ない部類に入るが、州都バレンシアにあるメスタージャの収容人数(5万5千人)にも満たない人口しか有していないビジャレアルにとってはキャパシティーが大き過ぎるようである。しかし、近年、チームが快進撃を続けていることもあり、週末に行われるリーグ戦のホーム平均観客動員率は70%以上に達している。この数字を見れば、ビジャレアルCFがどれだけ地元で強く支持されているかが窺えるはずだ。
とはいえ、スペクタクルなフットボール、熱狂的なサポーター、選手や監督の一挙手一投足に反応するメディア・・・・・・のような一般的にあるスペインサッカーのイメージとビジャレアルのそれは重ならない。むしろマドリード、バルセロナ、バレンシアなどの大都市にあるのが喧騒ならば、ビジャレアルにあるのは静寂であろう。名所のようなものは何もなく、景色もどこか灰色がかっている。しかし、地味なビジャレアルは、ここ数年、ピッチの上に限って、派手なビッグクラブに負けないほどの旋風を巻き起こして見せたのだった。
ビジャレアルCFが創設されたのは1923年で、スペインリーグの他クラブと比較して早いとはいえないが、取り立てて新興クラブというほど遅くもない。あの黄色いシャツと青いパンツにしても1947年から60年近く身に付けている伝統的なユニフォームだ。現在1部に所属するマラガCF(1994年創立)らと比較すれば、かなり息の長いクラブだといえよう。
しかし、ビジャレアルが新興クラブといわれる所以はトップリーグでの実績にある。1923年にスタートを切った彼らが初めてスペイン1部リーグに登場したのは、75年後の1998年なのである。今季を含む1部在籍数は、ちょうどマラガCFと同じ7季。人口4万6千人の小さな町のクラブが、1部在籍6季目にして国内リーグ3位となり、7季目に欧州CLへ挑戦しようというのだから、やはり新興クラブの大躍進と表現する以外にないだろう。
3部(4部相当)や2部B(3部相当)を行き来し、2部A(2部相当)に上がれれば御の字だったビジャレアルCFに転機が訪れたのは1997年のこと。現在もその職を務める実業家フェルナンド・ロイグが会長に就任し豊富な資金を投入すると、最初の1997-98シーズンに2部Aで4位に入り、クラブ史上初となる1部昇格を果たす。
迎えた98-99シーズンには、レアル・ソシエダで活躍していたルーマニア代表FWクライオベアヌらを補強し初の1部残留に挑むが、このときは勝ち点が4つほど足りず、18位でプレーオフに回り、セビージャに敗れ2部Aへ逆戻りする。しかし、99-00には2部Aで3位となり再び1部昇格を遂げた。
00-01シーズン、2度目となる1部挑戦のチャンスを得たロイグ会長は、それまで以上に補強に力を注ぐ。バジャドリードからFWビクトルを引き抜くと、DFラインには現在でもクラブを支えているアルゼンチン人アルアバレーナ、スペイン人キケ・アルバレスらを加え、さらにシーズン中の2001年1月には、アルゼンチン代表の大物FWマルティン・パレルモまで獲得したのだった。2000年12月のトヨタカップで2得点を挙げレアル・マドリードを沈めたスーパースターの到来に地元ビジャレアルの人々は沸き返り、その勢いのままチームは00-01シーズンを国内リーグ7位という素晴らしい好成績で終える。
01-02シーズンにはさらなる飛躍を目指したが、そう簡単にはいかず、結局は降格したラス・パルマスと勝ち点3差の15位、続く02-03も同じく15位と寂しいシーズンが続いた。鳴り物入りでやってきたパレルモも、怪我などで大きな活躍をしないまま70試合18得点という数字を残し、このシーズンでクラブを去っている。
しかし、この期間にビジャレアルはただ足踏みをしていたのかというと、そうは言い切れないだろう。01-02にFWグアイレ、DFバジェステロス、02-03にはMFのセナ、ホシコ、DFのベレッチ、GKのレイナらを加え着々とチームの土台を築き、02-03シーズン前に行われたインタートトカップでは決勝進出(惜しくも同国のマラガCFに敗れた)を果たし経験も積んでいる。またスター選手パレルモの存在は、バレンシア郊外の片田舎にある弱小クラブの名をスペインはおろか海の外へアピールする手助けをしたに違いない。
03-04シーズン前、クラブはそのパレルモを放出し、代わりに大補強を行う。トップにフランスのリヨンからソニー・アンデルソン、両翼にはロジェール、ホセ・マリ、DFラインにアルゼンチン代表コロッチーニ、そしてチームの中核にバルセロナで燻っていたアルゼンチン代表リケルメを迎え入れたのだった。
パレルモと同じようにリケルメは、ビジャレアルに少し不釣合いといえるほどの有名選手だったが、ピッチの上では大きな違いを見せる。リケルメはすぐさまビジャレアルの環境に馴染み、小さなクラブの王様へ納まるにとどまらず、それまでの自分と同じくらい注目されるような場所へとチームを牽引していった。
03-04のビジャレアルはまずインタートトカップで初優勝を遂げ、UEFAカップの出場権を得る。するとそのUEFAカップでは何とトルコの強豪ガラタサライ、イタリアのASローマ、スコットランドの雄セルティックを次々に粉砕し、ベスト4まで進出したのだった。
同国対決となった準決勝では2戦合計0-1というスコアで惜しくもバレンシアの前に屈したが、王者を大会で最も苦しめていたのはビジャレアルだったといえよう。(バレンシアは準決勝2試合と決勝1試合のみをベストメンバーで戦い、決勝は危なげない2-0の勝利。)ヨーロッパで輝かしい成績を挙げたビジャレアルは、このシーズンを国内リーグ8位で終え、再びインタートトカップ出場権を獲得し、さらなる飛躍を目指すこととなる。
順調に成果を挙げてきたビジャレアルだが、04-05シーズンには少し変化が訪れた。それまで監督にはあまり知られていないスペイン人指揮官(ホアキン・カパロス、ビクトル・ムニョス、ベニト・フローロ、パキートら)を短いスパンで起用する傾向にあったが、このシーズン前にはわざわざアルゼンチンの名門リーベル・プレートからマヌエル・ペジェグリーニというチリ人を招聘したのである。その新体制で臨んだシーズン前のインタートトカップでは、2年連続となる優勝(決勝では同国のアトレティコ・マドリードと対戦)を果たし、幸先の良いスタートを切る。
メンバー的には、レンタル期間を終えたコロッチーニの代役として同じアルゼンチンの新鋭DFゴンサロ・ロドリゲスを獲得すると、移籍期限ぎりぎりにマンチェスター・ユナイテッドからウルグアイ代表FWフォルランを補強し、10月にアンデルソンを放出している。しかしリケルメのチームであることに変わりはなく、新監督もそのことを十分に理解していたようだ。
熟成度を高めたビジャレアルは国内リーグで好調を維持し、ピッチの中央でリケルメが存分にタクトを振るうと、前線ではフォルランが確実にゴールを量産する。11月にはFWフィゲロア、MFソリンという二人のアルゼンチン代表選手を加え、さらにチーム力を上げていった。とりわけ欧州カップ戦の出場権がかかった後半戦では、その底力を見せつけたといえよう。
そして最後はバルセロナ、レアル・マドリードに次ぐ3位という素晴らしい順位でシーズンを終えるのだった。移籍後すぐさまエースとなったフォルランはスペインリーグ得点王にも輝いている。カップ・タイドによりフォルランが出場できなかったUEFAカップでは前年より一つ下のベスト8進出にとどまったが、ビジャレアルはそれ以上の成果である欧州CL出場権を手にした。
新シーズンを控えたビジャレアルのファンにとって一番の吉報は、リケルメの完全移籍である。今まで2シーズンに渡ってクラブを引っ張ってきたアルゼンチン代表MFは、レンタル期間を終え、契約上はバルセロナの所属選手に戻ったのだった。しかし本人の希望もあり、ロイグ会長は再びビジャレアルの選手としてエル・マドリガルへ連れ戻すことに成功している。
3季に渡りゴールマウスを守ってきたレイナがリバプールへ移籍し、代わりの選手を補強した以外でスタメンに大きな変化はなく、今季はそれまでの力を欧州CLでも発揮できるか、また国内リーグと両立できるか、などが課題になりそうだ。シーズン前に行われた欧州CLの予備選では、あまりいい組み分けとはいえないイングランドのエバートンとの対戦になったが、安定した試合運びで2戦2勝を挙げ、見事に05-06シーズンの欧州CL本選出場を決めている。イエローサブマリン旋風が欧州を席巻する日もそう遠くないかもしれない。
投稿者 lifestyle : 15:31 | コメント (0)
ベティス
《正式名称》 Real Betis Balompie, SAD
《ユニフォームカラー》 緑/白
【本拠地】 セビージャ
【創立】 1907年
【スタジアム】 マヌエル・ルイス・デ・ロペラ
【スタジアム収容人数】 52,500人
【国内タイトル】 国内リーグ:1回、国内カップ:2回
【国際タイトル】 -
【過去の所属選手】 ヤルニ、フィニディ、プラッツ、アルフォンソ、デニウソン
【現在の会長】 マヌエル・ルイス・デ・ロペラ
【現在の監督】 ロレンソ・セラ・フェレール
【現在の所属選手】 ホアキン、リカルド・オリベイラ、エドゥ、アスンソン、ファニート
【昨季の成績】 国内リーグ4位、国内カップ優勝
レアル・ベティスが本拠を置くスペインの南部アンダルシア地方は、フラメンコや闘牛の本場として知られ、また、キリスト教文化の中にイスラム教文化が混在する不思議な魅力を持った地域としても有名である。毎年4月に開催されるセビージャの春祭り(フェリア・デ・アブリル)は、牛追い祭り(サン・フェルミン祭)、サン・ホセの火祭り(ラス・ファジャス)と共にスペイン三大祭りの一つとして知られている。
サッカーに限ると、ドリブラーの産地とも呼ばれていて、近年もホアキンやレジェスといったサイドアタッカーが誕生しているが、何よりファンがそういうサッカーを望んでいるというのが一番の特徴であろう。
同じセビージャの街のライバルクラブであるセビージャFCに遅れること2年、1907年に創立して以来、まだ1度しか国内リーグ優勝を経験していず欧州カップでの実績もない中堅クラブだが、スペイン有数の人気チームとして知られる。
創立当初からベティスのファン層は労働者階級であり、セビージャFCのほうは富裕階級であると言われていて、それがベティスという一地方の中堅クラブのファンが国中に存在することの大きな理由であると考えられている。1960年代以降も農業に頼っていたアンダルシア地方から、貧しい労働者階級のベティスファンが職を求めて国中へ、国外へと移住していった結果、現在、ベティスのペーニャ(後援会)は全国に160以上、そしてアルゼンチン、フランス、メキシコ、ペルーにもあるのだ、という話には少なからず説得力があるように思う。
実績面では、歴史もタイトル数もセビージャFCとかなり似通っていて、近年、低迷した際も仲良くいっしょに降格の屈辱を味わい、次の年にまた同時に昇格し、その後も似たり寄ったりの順位で現在に至る。しかし、何かと常に先を越されている感があり、例えば優勝を争った回数では明確に差を付けられているといえるだろう。
両クラブ共にリーグ優勝は1回しかないが、リーグ2位となるとセビージャFCは4回もあるのに対して、ベティスは0回なのだ。国内カップ優勝回数もセビージャに軍配が上がるし、2001年に2部から上がってきた際も、1位はセビージャFCで2位がベティス、昇格後、2004年に初めてUEFA杯圏内へ辿り着いたのもセビージャFCである。
そういった歴史を考えると、昨季、アンダルシアのクラブにおいて史上初となるベティスの欧州CL出場権獲得はライバルの鼻を明かす快挙であったといえる。混戦のリーガ・エスパニョーラにおいて、最終節までもつれ込んだ激しい獲得合戦を制したことは大きな自信となったに違いない。
クラブとしての経験は浅いが、生え抜き選手であるスペイン代表ホアキンやブラジル代表のリカルド・オリベイラらが引っ張る攻撃陣は強力であり、今後の欧州でのスケールアップが期待されている。
投稿者 lifestyle : 15:29 | コメント (0)
セビージャ
《正式名称》 Sevilla Futbol Club, SAD
《ユニフォームカラー》 白/赤
【本拠地】 セビージャ
【創立】 1905年
【スタジアム】 サンチェス・ピスファン
【スタジアム収容人数】 45,500人
【国内タイトル】 国内リーグ:1回、国内カップ:3回
【国際タイトル】 -
【過去の所属選手】 ディエゴ・マラドーナ、スーケル、ツァルタス、レジェス、バプティスタ
【現在の会長】 ホセ・マリア・デル・ニード
【現在の監督】 ファンデ・ラモス
【現在の所属選手】 サビオラ、レナト、ダニエル・アルベス、カヌーテ、ルイス・ファビアーノ
【昨季の成績】 国内リーグ6位
スペインのというよりヨーロッパのほぼ最南端に位置するアンダルシア州は、今でもイスラム教の影響を感じさせる建築物が残っていて、また、フラメンコや闘牛、セビージャの春祭りでも知られる非常に独特の魅力に溢れた地域である。サッカーでは、ドリブラーを生み出すことで有名。
スペイン南部の都市セビージャには強烈なライバル関係にある2つの人気クラブが本拠を置いているが、国中にファンを持つ全国区の人気チームがレアル・ベティスだとすると、実績面で常にリードしてきたのがセビージャFCである。リーグ初優勝こそベティスのほうが先であるが、総合的に判断するとセビージャに軍配が上がるといえるであろう。
それだけに、クラブ創立100周年を迎えた昨季、一足先に欧州CL出場権を持っていかれたのは相当の屈辱だったに違いない。両者のライバル関係はスペイン随一として知られていて、“セビージャ・ダービー”が近くなると、毎年、会長同士の過激な舌戦が繰り広げられている。また、オフには補強の話題で盛り上がり、お互い干渉し合ってメディアを騒がせるのが恒例行事となっている。
近年、セビージャFCの成績は上向きだが、下部組織から育った左利きの俊足ドリブラーであるレジェスが1年半前にイングランドのアーセナルへ去った。ちなみに、過去には、あのマラドーナ、クロアチアのスーケル、ギリシャのツァルタスといった天才レフティたちが所属している。
レジェス以降のエースであるブラジル代表の野獣バプティスタや、10代にしてすでにスペイン代表に選出されているDFセルヒオ・ラモスも、共に新シーズンは白いユニフォームを着ることとなった。しかし、選手の売却資金でサビオラやカヌーテといった一流選手を獲得し、また、セスス・ナバスやケパといった将来有望な地元出身の若手も生まれていることから、サポーターはさらなる躍進を期待していることだろう。
投稿者 lifestyle : 15:15 | コメント (0)
バレンシア
《正式名称》 Valencia Club de Futbol, SAD
《ユニフォームカラー》 白/黒
【本拠地】 バレンシア
【創立】 1919年
【スタジアム】 メスタージャ
【スタジアム収容人数】 55,000人
【国内タイトル】 国内リーグ:6回、国内カップ:6回、国内スーパーカップ:1回
【国際タイトル】 UEFAカップ:3回、欧州カップウィナーズカップ1回、欧州スーパーカップ:2回
【過去の所属選手】 ムンド、ワルド・マチャード、マリオ・ケンペス、クラウディオ・ロペス、メンディエタ
【現在の会長】 ハイメ・オルティ
【現在の監督】 キケ・フローレス
【現在の所属選手】 アイマール、ビセンテ、バラハ、アジャラ、カニサレス
【昨季の成績】 国内リーグ7位
バレンシアCFが本拠地とするバレンシア州の州都バレンシアは、パエリア発祥の地、バレンシアオレンジの産地、サン・ホセの火祭り(ラス・ファジャス)の開催地などとして有名。マドリード、バルセロナに次ぐスペイン第3の都市であり、バレンシアCFも、レアル・マドリードとFCバルセロナの両雄にこそ及ばないが、近年の目覚しい躍進もあり、スペイン有数のビッグクラブとして認知されている。
バレンシアCFの名前が初めてスペイン中に知れ渡ったのはおそらく1940年代だろう。リーグ戦で191得点/208試合(得点王2回)を叩き出しスペインサッカー史にその名を残している伝説的なFWムンドに率いられたクラブは、国内リーグ優勝を3回、2位を2回、国内カップ優勝を2回、その10年間で経験している。
1950年代はクバラのバルセロナとディステファノのレアル・マドリードがスペイン、そして欧州を支配したので、バレンシアは目立った成績を挙げることができずにいたが、1960年代にはブラジル人のワルド・マチャードや地元出身のプチャデスらを擁するチームがUEFAカップの前身であるフェアーズ・カップを1962年、1963年に連覇、1964年に準優勝し、欧州でもその地位を固めた。
1970年代から80年代前半にかけては国内リーグ優勝1回、国内カップ優勝1回に加え、欧州カップウィナーズカップ優勝1回、欧州スーパーカップ優勝1回を飾り、「闘牛士」の愛称で知られるアルゼンチンのマリオ・ケンペス、西ドイツ代表の「雷神」ボンホフ、ウルグアイのフェルナンド・モレナ、オランダのジョニー・レップなどのスター選手が所属している。
1980年代半ばに入ると勢いが落ち始め、1985-1986シーズンには降格し1年間2部を経験するが、ここから這い上がってからはチーム力を上げていき、14位から一気に3位、2位と好成績を挙げ、以降は1990年代半ばまで常にリーグの上位と中位を行き来した。
この期間のバレンシアは、ブルガリア代表ストライカーのぺネフやユーゴスラビアのミヤトビッチのように大活躍した選手から、サレンコ、ロマーリオ、オルテガらのように馴染めなかった選手まで、多くのスターと契約した。
しかし、本当の栄光が訪れたのは、1990年代後半、アルゼンチン人のエクトル・クーペルとスペイン人のラファエル・ベニテスという二人の名将に率いられた時代であろう。
前者の頃は、タイトルにこそ手が届かなかったが、メンディエタ、クラウデォオ・ロペス、イリエといった優れたタレントを有し、国内リーグで上位に入っただけでなく、欧州CLで2年連続の決勝進出を果たし、欧州中にあらためてバレンシアCFの名を知らしめた。
後者の頃は、アイマール、アジャラといったアルゼンチン代表選手やバラハ、アルベルダ、ビセンテらスペイン代表選手を中心に3年間で国内リーグ優勝2回、UEFAカップ優勝1回とタイトルに満ち、文句の付けようのない至福の時であったと言える。
クーペル時代とベニテス時代の両方の成功を知っている貴重なベテラン選手たち、イタリア人DFカルボーニやスペイン代表GKカニサレスらを除いては基本的に出入りの激しいチームであったが、昨年ベニテス監督がリバプールに去ってからのクラブ成績は明らかな下降線を描いていて、現在、偉大なる知将の穴がまだ埋まっていないことは確かなようである。
投稿者 lifestyle : 15:06 | コメント (0)
デポルティーボ・ラ・コルーニャ
《正式名称》 Real Club Deportivo de la Coruna
《ユニフォームカラー》 青/白
【本拠地】 ラ・コルーニャ
【創立】 1906年
【スタジアム】 リアソール
【スタジアム収容人数】 34,611人
【国内タイトル】 国内リーグ:1回、国内カップ:2回、国内スーパーカップ:3回
【国際タイトル】 -
【過去の所属選手】 ベベット、ドナト、マウロ・シルバ、フラン、ジャウミーニャ
【現在の会長】 アウグスト・セサル・レンドイロ
【現在の監督】 ホアキン・カパロス
【現在の所属選手】 バレロン、トリスタン、セルヒオ、アンドラーデ、コロッチーニ
【昨季の成績】 国内リーグ8位
デポルティボ・ラ・コルーニャはその名の通り、スペイン北西部、ポルトガルとの国境近くに位置するガリシア地方の長閑な港町ラ・コルーニャ(ガリシア語ではア・コルーニャ)に本拠を置いている。
大陸性や地中海性の乾燥した気候に覆われているスペインにおいて、珍しく雨の多い地域として有名。郊外には「ヘラクレスの塔」という世界最古の灯台があり、車で一時間ほどのところには毎年世界中から多くの巡礼者が訪れるキリスト教の三大聖地の一つサンティアゴ・デ・コンポステラがある。
スペインの漁獲高の25%を占めている国内最大の漁港として知られるラ・コルーニャであるが、かつて大航海時代に無敵艦隊と呼ばれたスペイン海軍の出向地として栄えた軍港であったという側面も持っている。ちなみに、スタジアム名のリアソールの「リア」はガリシア独特の湾を指し、「リアス式海岸」の由来となっている。
クラブの創立は1906年と早いが、1941年に初めて1部に昇格してから1990年代に入るまでの長い間、目立った実績を挙げることもなく1部と2部を行き来する弱小クラブであった。同じガリシア州、ビーゴに本拠を置く最大のライバル、セルタ・デ・ビーゴも小さなクラブで、実績も似たようなものだったが、1988年に現在の会長レンドイロがデポルティーボの会長に就任し変化が訪れる。
10年以上2部で過ごしていたクラブが1991年に昇格すると、1992年にブラジル代表ベベット、マウロ・シルバらを加えたチームは一気に1部で躍進し、スーペル・デポルと呼ばれ国内リーグ3位、リーグ最小失点という好成績を挙げる。翌1993-1994シーズンにはブラジル人DFドナトも獲得し、驚異的な守備力を武器に首位を走るが、最終節に逆転でリーグ優勝を逃してしまう。(国内リーグ2位)しかし、このシーズンの失点率(1試合平均の失点数が歴代最小記録)は、いまだに破られていない。
1994-1995シーズンには、またリーグ2位になるが、このときは念願のクラブ初タイトルとなるコパ・デル・レイを手にした。
その後もリバウド、フラビオ・コンセイソン、ジャウミーニャら多くのブラジル人選手を獲得し、彼らの素晴しい活躍と共にレンドイロのデポルティーボは栄光を築いていく。ポルトガルに近いことからガリシア地方の言葉はポルトガル語に似ていると言われるが、多くのブラジル人選手がすぐに馴染み実力を発揮してきたのはそのためかもしれない。
近年のデポルティーボの成功を語るとき、レンドイロ会長、ブラジル人選手と同様、触れなくてはならないのが、昨年まで7年間指揮をとり続けた名将ハビエル・イルレタだろう。1998年に就任すると、世界的にブームを巻き起こした4-2-3-1システムを作り上げ、1999-2000シーズンにはついに国内リーグ初優勝を成し遂げる。
また、イルレタ監督のデポルティーボは、国内リーグで確固たる地位を築いただけでなく、2000年から4年連続CL出場を果たすと素晴しい成績(ベスト4が1回、ベスト8が2回)を残し、その名を欧州中に知らしめている。
国内リーグでも2001-2002シーズン(チームは2位)にディエゴ・トリスタン、2002-2003シーズン(チームは3位)にマカーイが続けて得点王になるなど、まさにクラブ史上で最も輝かしいときを迎えていたといえる。
しかし、欧州CLベスト4の翌年にあたる昨季は、主力の高齢化やチームのマンネリ化から低迷し、クラブを象徴する二人のベテラン選手フラン、マウロ・シルバが引退を表明、そしてとうとうオフにイルレタ監督も退任することとなり、一時代の終わりを感じさせる時期に入っている。
新シーズン前には、セビージャを率いていたホアキン・カパロスを監督に迎え、インタートト杯を戦ったが、あえなく決勝で敗退を喫した。あと一歩の所でUEFA杯の出場権を得られなかったわけだが、そもそも効果的な補強ができたとはいえない状況にあるので、国内リーグに専念できる環境が整ったという見方もできるだろう。
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アスレティック・ビルバオ
《正式名称》 Athletic Club de Bilbao
《ユニフォームカラー》 赤/白/黒
【本拠地】 ビルバオ
【創立】 1898年
【スタジアム】 サン・マメス
【スタジアム収容人数】 40,000人
【国内タイトル】 国内リーグ:8回、国内カップ:23回、国内スーパーカップ:1回
【国際タイトル】 -
【過去の所属選手】 ピチチ、サラ、イリバル、スビサレッタ、アルコルタ
【現在の会長】 イグナシオ・ウガルテチェ
【現在の監督】 メンディリバル・エチェベリア→ハビエル・クレメンテ
【現在の所属選手】 エチェベリア、ウルサイス、ジェステ、グルペギ、ゲレーロ
【昨季の成績】 国内リーグ9位
スペイン最初のフットボールクラブは1889年に設立されたレクレアティーボ・ウェルバであるというのが現在は一般的だが、いまだに国内ではビルバオ説も根強い。それどころか、このアスレティックというクラブは、書面上、1898年でさえなく、1901年創立が正確なのでないかという意見もあるが、国内でアスレティックの神話が疑われることは稀なようである。
国としてよりも地域としての民族意識が高いスペインにあって、とりわけ独自性が強いといわれるバスク地方の雄アスレティック・ビルバオは、その名前からして異彩を放っているといえよう。“アスレティック”は100年以上前、バスクの地にサッカーを伝えた国イングランドの“読み方”そのままであり、スタジアムの形状もイングランド型、また、現在でも彼らのピッチ上でのプレーには英国サッカーの影響が色濃く残っている。
現在でも得点王の杯にその名を残す伝説的なFWピチチ、1シーズン最多ゴール記録を保持し続ける同じく伝説の人物サラ、いわゆるイングランド的な大型CFとして知られるこの2名の偉人は共にアスレティック出身であり、近年もサリナス、ウルサイス、ジョレンテといったようにスペインでは珍しい大型CFの系譜は受け継がれている。
中央マドリードの政府に抵抗し続けたバスク地方を代表するクラブとして、地元出身者以外の選手を補強せずにこれまでやり通してきたというアスレティック・ビルバオの不屈の精神は、テクニカルで、どこかお気楽な雰囲気のあるスペインサッカーよりも、無骨で、粘り強く潔いイングランド・サッカーのほうが性に合っていたのかもしれない。
しかし、地元のレサマと呼ばれる下部組織から引き上げられた選手だけで今まで生き残ってきたのかと言われれば、それはノーである。バスク出身者とは、ビルバオだけでなく、他のバスク地方の下部組織から育った選手を含むということで、現在、キャプテンを務めているエチェベリアなどがその好例だろう。アスレティックのバスク最大のライバルであるレアル・ソシエダで彼は育ち、デビューし、今はビルバオにいるのである。アスレティックの引き抜きもあり、ラ・レアルは現在、バスク人以外の選手も補強するようになっている。
これだけではなく、実をいえば、約1世紀前のクラブ設立当初は英国人が所属していたという話もあるし、バスクよりかなり南に外れた地域の出身者がビルバオに“バスク人として”迎え入れられるというケースもなくはないようだ。
もちろん“バスク人”という基本的な括りにしても、例えば、前述したピチチは移民の父親とバスク人の母親の間に生まれた“バスク人”であると知られているし、少なくともアスレティックにおける“バスク人”は人類学的な純血や正確性から遠いものだと推測できる。
そういった細かい事情を差し引いたとしても、「地元から生まれた選手を全力で育てよう」というアスレティック・ビルバオの極めてシンプルな理想と、多くのクラブにとっては難し過ぎるであろうそのシンプルな理想を貫く姿勢、そして結果を残し続けているという事実が、欧州中で尊敬を集めているのは間違いのないところである。
アスレティックは、レアル・マドリード、バルセロナと共にスペイン・リーグの長い歴史において一度も降格したことない3つのクラブの中の一つであり、国内リーグ優勝回数はその2強とアトレティコ・マドリードに次ぐ7回、2位は7回、国内カップ優勝回数においてはトップのバルセロナより1回少ないだけの23回、準優勝回数はバルセロナより2度多い11回にも上るのだから……。
ヨーロッパにおいては、UEFAカップ決勝0-1と2-1でアウェイ・ゴールにより“イタリアの貴婦人”ことユベントスの前に散った1977年の成績が最高であるが、サラやパニーソらを擁したアスレティックの黄金期に大会が設立されていなかったことは考慮に値する。
資金力のあるビッグクラブが外国人スターを世界中から買い集める昨今、リーガ・エスパニョーラや欧州カップで、アスレティックがタイトルを獲る確率は極めて低いと言わざるをえないが、毎シーズン、沢山の選手を入れ替え華やかにオフを彩ったクラブが、サン・マメスへの遠征を恐れていることだけは確かであろう。上位に進出する機会が少なくなったとはいえ、バスク国(Pais Vasco)自治州を代表する名門クラブの存在感はいまだ色褪せていない。
投稿者 lifestyle : 14:49 | コメント (0)
アトレティコ・マドリード
《正式名称》 Club Atletico de Madrid, SAD
《ユニフォームカラー》 赤/白/青
【本拠地】 マドリード
【創立】 1903年
【スタジアム】 ビセンテ・カルデロン
【スタジアム収容人数】 54,851人
【国内タイトル】 国内リーグ:9回、国内カップ:9回、国内スーパーカップ:1回
【国際タイトル】 欧州カップウィナーズカップ:1回、インターコンチネンタルカップ:1回
【過去の所属選手】 ルイス・アラゴネス、シュスター、パウロ・フットレ、キコ、シメオネ
【現在の会長】 エンリケ・セレソ
【現在の監督】 カルロス・ビアンキ
【現在の所属選手】 フェルナンド・トーレス、ケズマン、マルティン・ペトロフ、マキシ・ロドリゲス、ペレア
【昨季の成績】 国内リーグ11位
エル・ブランコと同じスペインの首都に本拠地を置くアトレティコ・マドリードは、マドリード第二のクラブであり、スペイン第三のクラブでもあったが、近年の低迷とバレンシアの躍進によりその地位を脅かされつつある。とは言っても、前回優勝は1995年であり、それからちょうど今季が10年目にあたるのだが、この短い期間に2部降格だけでなく、へスス・ヒル会長の逮捕、サポーターによる刺殺事件など多くのスキャンダルを経験したことは、名門クラブにとって屈辱的だったに違いない。
国王のクラブとしてスペイン一の人気を誇り富裕階級に多くのファンを抱えるレアル・マドリードに対して、労働者階級のファン層に支持されてきたアトレティコ・マドリードは、その名前やユニフォームにも表れている通り、アスレティック・ビルバオと深い関係にある。アトレティコ・マドリードは、バスク人の手によりアスレティック・ビルバオのマドリード版として1903年に「アスレティック・クラブ・デ・マドリード」という名で設立されたといわれていて、以降は本家に勝るとも劣らない成績を残してきた。
「アスレティック・クラブ・デ・マドリード」として始まったチームは1928年スペイン・リーグ創設時から参加するも、当初は降格圏をさまよう中小クラブであった。そして1936~1939年の期間、スペイン内戦によりリーグが中断すると、主力8人が戦死し、存続のために空軍(アビアシオン)の精鋭チームと合併することとなり、アスレティック・アビアシオンに改名する。数ヵ月後には外国語の名前を付けることを許さないフランコ将軍の命令によりアトレティコ・アビアシオンに変更されたが、チームはリカルド・サモラ監督の下で力を発揮し、1939年に再開された国内リーグで初優勝を果たしただけでなく連覇まで達成している。
第二次世界大戦後、クラブ名から軍隊用語は外すことになり、現在と同じアトレティコ・マドリードという名称になったのは1947年のことだが、この年にレアル・マドリードを5-0で破るなど、その勢いを増しつつあったといえる。
のちにバルセロナやインテル・ミラノに多くのタイトルをもたらしたアルゼンチン人の名将エレニオ・エレラが就任してからは、モロッコ人ベン・バレクらを擁するチームが1949-1950シーズン、1950-1951シーズンと国内リーグ連覇を遂げ、エレラが去って以降も、スペイン第三のクラブに相応しい成績を挙げ続けた。
惜しむらくは、同時期に全盛期を迎えていたディステファノのレアル・マドリード、クバラのバルセロナが強過ぎて、国内でタイトルを積むことができず、欧州カップにもその名を刻めなかったことだろう。1959年には欧州CCの準決勝まで駒を進めているが、やはり立ちはだかったのは連覇を続けている隣のクラブであった。
1961-1962シーズンにはクラブ史上初で、現在も唯一となっている欧州カップ優勝を欧州カップウィナーズカップで果たした。1962-1963、1985-1986シーズンにも欧州カップウィナーズカップ決勝に進出したがこちらは共に敗退している。
国内で強豪としての地位を固め、以降も1966年、1969年、1973年にリーグ優勝をしているが、アトレティコ史上に残る決勝戦と言えば、アルゼンチン人監督ファン・カルロス・ロレンソの下、ルイス・アラゴネスやハビエル・イルレタらを有するチームが1974年に全盛期のバイエルン・ミュンヘンと対戦した欧州CC決勝であろう。
ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー、ブライトナー、ゼップ・マイヤーらを揃え、まさに全盛期を迎えつつあるバイエルンを相手にアトレティコは善戦し、延長戦に入ってついにルイス・アラゴネスが先制したのだが、終了30秒前に追いつかれ引き分けに持ち込まれる。再試合では0-4の大敗を喫し、欧州CC制覇の夢は夢のままで終わったのだった。
ちなみに、バイエルンが翌年のインターコンチネンタルカップの出場を辞退したため、アトレティコは代替出場ではあるが、アルゼンチンのインデペンディエンテに勝利し、タイトルを手にしている。
1960~1970年代以降、国内連覇や欧州CC決勝進出はないが、1990年代前半にはポルトガルのパウロ・フットレ、ドイツのシュスター、スペインのマノロといったスター選手を軸に国内カップを連覇した。
そして近年、最も成功したといえるのが、生え抜きの人気選手であるキコ、アルゼンチンの潰し屋シメオネらを中心に国内リーグと国内カップの2冠を達成した1995-1996シーズン。翌年の欧州CLでも準々決勝まで進出した。
しかし以降は急降下し、クラブ運営面で失敗を続け、イタリア人選手の加入(ビエリ、ベントゥーリン、トリージ)やイタリア人監督の招聘(アリゴ・サッキ、ラニエリ)などもあったが結局チームは崩壊し、とうとう1999-2000シーズンには多くの有名選手(ハッセルバインク、ホセ・マリ、ソラーリ、ジュニーニョ・パウリスタ、バレロン、バラハ、ガマーラ、モリーナ)を揃えながらも降格してしまう。
2002年1部復帰後も上位に食い込むことはできずにいるが、新シーズンはアルゼンチン人の名将カルロス・ビアンキ監督を迎え入れ、大型補強を敢行し、古豪復活を目指している。各国代表選手を多く抱えているが、中でも、毎年チームのトップスコアラーであり、地元カンテラ出身でもある若いスター選手フェルナンド・トーレスにかかる期待は大きいだろう。
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レアル・サラゴサ
《正式名称》 Real Zaragoza, SAD
《ユニフォームカラー》 白/青
【本拠地】 サラゴサ
【創立】 1932年
【スタジアム】 ラ・ロマレダ
【スタジアム収容人数】 34,596人
【国内タイトル】 国内カップ:6回、国内スーパーカップ:1回
【国際タイトル】 UEFAカップ:1回、欧州カップウィナーズカップ:1回
【過去の所属選手】 アマリージャ、チラベルト、ポジェ、ロベルト・アクーニャ、ビジャ
【現在の会長】 アルフォンソ・ソランス
【現在の監督】 ビクトル・ムニョス
【現在の所属選手】 サビオ、エベルトン、ガブリエル・ミリート、ディエゴ・ミリート、オスカル
【昨季の成績】 国内リーグ12位
スペイン中部アラゴン州の州都サラゴサを本拠地とするレアル・サラゴサは、実績のわりにスペインサッカー史の表舞台に顔を出すことが少ない中堅クラブである。地図で見ると、ちょうど東のバルセロナ、中央マドリード、北のビルバオ、南東のバレンシアの4つの中間地点に位置していて、サッカーでも彼らの成功の陰に隠れているといえるかもしれない。
1902年にサラゴサFCとして創立していたが、合併などにより、現在のレアル・サラゴサになったのは1932年であった。当時は1部と2部を行き来する中小クラブだったが、1960年代から目立った成績を収め始め、1960-1961~1965-1966年シーズンまでの6年間の国内リーグは、3位、4位、5位、4位、3位、4位と非常に安定したものとなっている。
特筆すべきは国内外カップ戦での成績で、1963年に国内カップ準優勝(優勝はバルセロナ)、1964年には国内カップを制しただけでなく、UEFAカップの前身である欧州フェアーズカップの決勝で、バレンシアの3連覇を阻止し初優勝を飾る。
レアル・サラゴサの勢いは止まらず、翌1965年にも国内カップで準優勝(優勝はアトレティコ・マドリード)、さらに1966年には再び国内カップを手にし、欧州フェアーズカップでも決勝進出(優勝はバルセロナ)を果たした。
この何年間かで、間違いなくクラブ史に残る偉大な時期を過ごしたサラゴサだが、欧州サッカーを支配していたレアル・マドリードとバルセロナ、それにサラゴサ同様、輝かしい時期を送っていたバレンシアやアトレティコ・マドリードらの陰に隠れていた感も否めない。一番の理由として、国内リーグを制していないことが挙げられるのだが、残念ながらこの不名誉な欠落は現在も続いている。
疑いなくサラゴサの黄金期と呼べる1960年代が終わると、1970-1971年シーズンに降格し、1973-1974年シーズンに昇格すると3位の好成績を挙げ、1974-1975年シーズンにはクラブ史上最高である2位まで登りつめるが、翌1975-1976年シーズンに国内カップで準優勝(優勝はアトレティコ・マドリード)したのを最後に再び表舞台から姿を消し降格した。
1980年代のサラゴサは国内カップを一度制したのみだが、中堅クラブとしてコンスタントに安定した成績を残し、アルゼンチン代表のバルダーノ、ドイツ代表のブレーメ、現バルセロナの監督ライカールト、パラグアイの名GKチラベルトなどもプレーしている。
1990年代以降は、再びカップ戦に強く、リーグ戦での安定感に欠けるチームへと戻ったようで、国内カップ戦では1993年、1994年、2001年、2004年と4度決勝に進出し、そのうち3回を優勝(1993年はレアル・マドリードが優勝)、1994年には欧州カップウィナーズカップでも見事に初優勝を飾ったが、リーグ戦では相変わらず目立った成績を収められず、2002年には降格も経験した。
新シーズンは、チームの中核である元ブラジル代表MFサビオ、アルゼンチン代表DFガブリエル・ミリートに加え、昨季までのエースであるスペイン代表ビジャやアルゼンチン代表ガジェッティの代役としてクラブにやってきたアルゼンチンのディエゴ・ミリートやブラジルのエベルトンらの活躍が期待されている。
派手なクラブではないが、有名選手が出入りすることも多く、過去に現役ではスペイン代表のモリエンテス、セルビア・モンテネグロ代表のミロシェビッチ、ブラジル代表のカフー、アルゼンチン代表のキリ・ゴンサレス、グスタボ・ロペスらが所属していた。
投稿者 lifestyle : 14:23 | コメント (0)
レアル・ソシエダ
《正式名称》 Real Sociedad, SAD
《ユニフォームカラー》 紫/白
【本拠地】 サン・セバスティアン
【創立】 1909年
【スタジアム】 アノエタ
【スタジアム収容人数】 32,000人
【国内タイトル】 国内リーグ:2回、国内カップ:2回、国内スーパーカップ:1回
【国際タイトル】 -
【過去の所属選手】 アルコナーダ、バケーロ、ベギリスタイン、デ・ペドロ、シャビ・アロンソ
【現在の会長】 ホセ・ルイス・アスティアサン
【現在の監督】 ホセ・マリ・アモロルトゥ
【現在の所属選手】 ニハト、コバチェビッチ、ロペス・レカルテ
【昨季の成績】 国内リーグ14位
スペイン北部のフランス国境近くに位置するサン・セバスティアンは、バスク国(Pais Vasco)自治州の州都であり、スペイン有数の高級リゾート地として知られている。帆立貝の形をしたコンチャ海岸(ビスケー湾)は有名だ。美しい海と砂浜に囲まれ“ビスケー湾の真珠”と呼ばれる地に本拠を置くレアルことレアル・ソシエダのホーム・スタジアム“アノエタ”はスペインで最も美しいスタジアムであるといわれ、チームもバスク2強の一角に数えられている。
日本ではスペインの白い巨人レアル・マドリードが「レアル」と紹介されることが多いが、スペインで「レアル」といえばレアル・ソシエダのほうを指す。レアルとは「国王の、王室の」を意味する形容詞で、一番最初にスペイン国王から「レアル」の称号を与えられたのがソシエダであるというのがその理由。
正確に表すと、ソシエダは「ラ・レアル」、マドリッドは「エル・レアル」ということになるが(ラもエルも冠詞)、一般的にはソシエダが「レアル、ラ・レアル」でマドリッドが「エル・ブランコ(白)、ロス・メレンゲス(綿菓子)、マドリー、エル・レアル」などと呼ばれている。
かつてはバスクのライバルであるアスレティック・ビルバオ同様、バスク出身選手のみでチームを構成し純血主義を貫いていたが、1989年にチーム力を維持するためやむなく外国人選手の加入を解禁するとイングランドのリバプールからアイルランド人ジョン・オルドリッジを獲得した以降は多くの外国籍選手がプレーし、数年前からスペイン人選手(バスク外出身のスペイン人)の補強も開始している。
1909年創立で長い歴史を誇るクラブだが、獲得したタイトルはほぼ全て、スペイン代表の守護神アルコナーダやバルセロナでも活躍した代表MFバケーロらを擁した1980年代前半に集中していて、この頃が黄金時代といえる唯一の時期であろう。
1978-1979シーズンに国内リーグで4位という好成績を残すと、翌シーズンは優勝したレアル・マドリードに勝ち点1差でクラブ史上最高成績となる2位へと食い込む。そして1980-1981シーズンには念願のリーグ優勝を飾り、1981-1982シーズンには連覇を達成するという快挙も遂げる。
翌1982-1983シーズンにはレアル・マドリードを下し国内スーパーカップの初代王者となり、国内リーグは振るわなかったが、初出場となった欧州CCでベスト4進出を果たした。しかし、この年以降は徐々に順位を落としていき、1986-1987シーズンに国内カップのタイトルを手にした以外に目立った成績を残せず、1989年には外国籍選手の補強を解禁するに至っている。
近年も中位と下位を行き来する状況が続いていたが、2002-2003シーズン、フランス人監督ドゥヌエの下、クラブ生え抜きのシャビ・アロンソ、デ・ペドロらと、ロシアのカルピン、ユーゴスラビアのコバチェビッチ、トルコのニハト、オランダのベステルフェルトといった外国人選手を上手く組み合わせたチームが大躍進し、最終節までスター軍団レアル・マドリードと優勝争いを繰り広げ、リーグ戦を大いに沸かせた。
タイトルこそ逃したが、レアル・ソシエダが見せたサッカーは人々を大いに魅了し、リーグ最優秀スペイン人選手にシャビ・アロンソが、リーグ最優秀外国人選手にニハトがそれぞれ選ばれたことにもそれは表れている。
このシーズンに2位に入ったことで欧州CL出場権を獲得したが、翌年は国内リーグとの両立に苦しみ、欧州CLではベスト16に進出するも、国内リーグでは下位に低迷し、優勝を争うグループから残留を目標とするグループへ逆戻りするかたちとなった。2004年にシャビ・アロンソとデ・ペドロが移籍し、2005年にはカルピンも引退した。
今季は、2位になった3年前の監督や主力選手の多くが去っていることもあり、抜本的な建て直しが期待されるが、資金力的になかなか今いる場所から抜け出せない、というのが現状だろう。
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2005年08月09日
ブラジル

《正式名称》 Republica Federativa do Brasil
《ユニフォームカラー》 黄/青/白
【通称】 Brazil
【首都】 ブラジリア![]()
【言語】 ポルトガル語
【国土】 8,511,965 km2![]()
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【人口】 1億8,200万人
【協会創立】 1914年
【FIFA加盟】 1923年
【W杯出場】 16回 (優勝5回=1958、1962、1970、1994、2002)
【五輪出場】 10回
【コパ・アメリカ優勝】 7回
【過去の有名選手】 ガリンシャ、ペレ、リベリーノ、ジーコ、ロマーリオ
【現在の監督】 カルロス・アルベルト・パレイラ
【現在の有名選手】 ロナウド、ロナウジーニョ、ロベルト・カルロス
【FIFA略称】 BRA
【FIFA世界ランキング】 1位
誰もが認める王国ブラジル。“セレソン”や“カナリア”などの愛称は日本でも有名だろう。“セレソン”はポルトガル語で“代表”を意味し、“カナリア”はその黄色いユニフォームカラーに因んでいる。一般的に「ブラジル人は世界で一番サッカーが巧い」と考えられているが、実際、彼らのプレーを観れば納得せざるを得ない。ワールドカップ最多優勝国にして、世界で唯一、全大会に出場している正真正銘のサッカー大国だといえる。
W杯におけるナショナルチームの実績や、スター選手の数では他国の追随を許さない。また、クラブレベルではリオデジャネイロ州(フラメンゴ、フルミネンセ、バスコダガマ…)やサンパウロ州(サントス、サンパウロFC、コリンチャンス…)を中心に多くの人気クラブを抱えていて、全国選手権(通常の国内リーグ)のほか、州選手権のほうも伝統的に盛り上がりを見せている。ブラジル国民はナショナルチームやクラブチームをサポートしながらサッカーというスポーツを愛し続けてきたのだ。
テクニックを生かした攻撃的なサッカーを得意とし、また国民も自分たちの代表チームがそういったスタイルでプレーすることを常に望んでいるのが特徴。もちろん彼らにとって、どんな試合でも勝つのは当たり前であり、勝つと同時に内容も求められるということ。
ブラジル人といえば、カーニバルやサンバに象徴される陽気な国民性が思い浮かぶが、サッカーのナショナルチームに対する視線は、おそらく世界一厳しい。
国自体は国土が広く、また、ポルトガル系などのヨーロッパ移民、アフリカ奴隷の子孫、アジアからの移民、先住民などから成る多民族国家で、サッカーにおいても様々な人種のスター選手を生み出してきた。
ドイツ人の父親(白人)とブラジル人の母親(黒人)を持つフリーデンライヒは、ブラジルサッカー史における最初のスター選手だとされている。彼が活躍したのは1910~20年代だった。以降もレオニダス、アデミール、ジジ、ガリンシャなど、歴代の名手とその紹介を並べていったらスペースが足りなくなってしまう。ここでは説明不要の3選手、ペレ、ジーコ、ロマーリオあたりの名を挙げるに止めたい。
近年ではロナウド、リバウド、ロナウジーニョなど、常に世界のサッカー界を牽引するスーパースターを輩出し続けている。現在、若い世代からアドリアーノ、カカ、ロビーニョといったスター候補も誕生し、世界中の国が羨むタレントの宝庫と化しているといえよう。
投稿者 lifestyle : 10:45 | コメント (0)
フランス

《正式名称》 Republique Francaise
《ユニフォームカラー》 青/白/赤
【通称】 France
【首都】 パリ![]()
【言語】 フランス語
【国土】 547,030 km2![]()
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【人口】 6,018万人
【協会創立】 1919年
【FIFA加盟】 1904年
【W杯出場】 11回 (優勝1回=1998)
【五輪出場】 10回 (優勝1回=1984)
【欧州選手権出場】 6回 (優勝2回=1984、2000)
【過去の有名選手】 コパ、フォンテーヌ、プラティニ、カントナ、パパン
【現在の監督】 レイモン・ドメネク
【現在の有名選手】 ジダン、アンリ、ビエラ
【FIFA略称】 FRA
【FIFA世界ランキング】 8位
サッカーというスポーツにおいて、ルールを統一し世界に普及させたイングランドがサッカーの母国、つまり“生みの親”であるなら、国際サッカー連盟、ワールドカップ、欧州チャンピオンズカップ、欧州選手権などの設立を提唱し、サッカーの発展に大きく貢献してきたフランスはサッカーの“育ての親”である、といわれる。
1950年代には、すでに初代ナポレオンであるレイモン・コパやW杯史上1大会最多得点記録を保持するジュスト・フォンテーヌといったスター選手を輩出していたが、この育ての親は代表でもクラブでもなかなか国際大会のビッグタイトルに恵まれず、サッカー界の黒子の役回りを背負わされていた感が否めない。
しかし、“将軍”プラティニの時代に初のビッグタイトルである欧州選手権優勝を果たし、近年とうとう“新将軍”ジダンらの下、ワールドカップのタイトルも手にすることとなった。
フランス人は基本的には美しいサッカーを好み、プラティニの頃のフランス代表のパスワークはシャンパン・サッカーと呼ばれ今でも語り継がれている。
移民の多い国として知られていて、サッカーの代表チームでも数多くの1世、2世がプレーしてきた。1998年自国開催W杯の主力であるジダン、ジョルカエフ、アンリらはアフリカ系移民だし、古くはレイモン・コパ、ミシェル・プラティニといったスーパー・スターもヨーロッパ系移民だといわれる。
ちなみに、ユニフォームは国旗のトリコロール(青・白・赤)を、上からシャツ(青)、パンツ(白)、靴下(赤)といった具合にそのまま採用している。代表チームの愛称は、シャツの色である“レ・ブルー”(青色)。
投稿者 lifestyle : 10:22 | コメント (0)
アルゼンチン

《正式名称》 Republica Argentina
《ユニフォームカラー》 水色・白/黒/白
【通称】 Argentina
【首都】 ブエノス・アイレス![]()
【言語】 スペイン語
【国土】 2,766,890 km2![]()
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【人口】 3,870万人
【協会創立】 1893年
【FIFA加盟】 1912年
【W杯出場】 13回 (優勝2回=1978、1986)
【五輪出場】 5回 (優勝1回=2004)
【コパ・アメリカ優勝】 14回
【過去の有名選手】 モレノ、ディステファノ、シボリ、ケンペス、マラドーナ
【現在の監督】 ホセ・ペケルマン
【現在の有名選手】 リケルメ、アイマール、クレスポ
【FIFA略称】 ARG
【FIFA世界ランキング】 4位
ブラジルと並ぶ南米の雄。ワールドカップ優勝2回で、コパ・アメリカの優勝回数は最多の14回。自国リーグは南米一の実力を誇り、リベルタドーレス杯では19回優勝チームを送り込んでいる。マラドーナを筆頭に、リケルメ、テベスらを輩出してきたボカ・ジュニオルスや、アイマール、サビオラ、クレスポらが所属していたリーベル・プレートは南米を代表する強豪クラブ。
ライバル国ブラジルとの最大の違いは、人口の約97%がイタリア系やスペイン系などのヨーロッパ移民の子孫であるということだろう。技術的に高い選手を多く生み出してはいるが、反面、狡猾で荒いプレーも辞さないスタイルも特徴となっている。フォワードからディフェンダーまで様々なタイプの好選手をバランス良く生み出しているといえよう。
ヨーロッパ系の子孫が多いからか、他の南米諸国よりもヨーロッパ・サッカーに馴染みやすい傾向にあるといえ、今も昔も多くの選手がヨーロッパの舞台で活躍している。古くはレアル・マドリードのディステファノ、ユベントスのシボリ、トッテナムのアルディレス、ナポリのマラドーナなど挙げればきりがなく、現在も代表選手のほとんどがスペインやイタリアを中心とした国外クラブでプレーしている。
上記の南米らしい華やかな前線のスター選手たち以外に守備的な選手も多く輩出していて、キャリアの前半はボカとアルゼンチン代表、後半はユベントスとイタリア代表で過ごし、いずれのチームでも守備の要として君臨したMFモンティや、1978年W杯優勝時のキャプテンでありイタリアリーグで長く活躍したDFパサレラ、1986年W杯優勝メンバーでリーベル・プレートやレアル・マドリードに在籍したDFルジェリなどは有名である。
現在、各ポジションとも高レベルだが、とりわけディフェンダーの輩出では質量共に世界一を誇る。スペインのバレンシアに所属するアジャラ、ビジャレアルのゴンサロ・ロドリゲス、ソリン、デポルティーボのコロッチーニ、スカローニ、サラゴサのガブリエル・ミリート、セルタのプラセンテ、イタリアのインテルに所属するサムエル、サネッティ、イングランドのマンチェスター・ユナイテッドに所属するエインセ、ドイツのバイエルンに所属するデミチェリス、ヴォルフスブルクのキローガといったように、軒並み欧州のトップリーグで活躍している。
2002年ワールドカップでは期待を裏切っただけに、2006年ドイツでの奮闘を願う国民の気持ちは非常に強いだろう。ディフェンダーの充実だけでなく、絶対的な司令塔であるリケルメの存在や、クレスポ、アイマール、サビオラ、テベスら攻撃的なタレントの豊富さ、新星メッシーの登場など、明るい材料も多い。実力と経験を兼ね備えた国であるだけに、マラドーナの時代以来となるワールドカップ制覇のチャンスもなくはないだろう。
投稿者 lifestyle : 10:09 | コメント (0)
チェコ共和国

《正式名称》 ?eska republika
《ユニフォームカラー》 赤/白/青
【通称】 Czech Republic
【首都】 プラハ![]()
【言語】 チェコ語
【国土】 78,866 km2![]()
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【人口】 1,025万人
【協会創立】 1901年
【FIFA加盟】 1907年 , 1994年
【W杯出場】 チェコ共和国:0回、チェコスロバキア:8回
【五輪出場】 チェコ共和国:1回、チェコスロバキア:6回 (優勝1回=1980)
【欧州選手権出場】 チェコ共和国:3回、チェコスロバキア:3回 (優勝1回=1976)
【過去の有名選手】 プラーニチカ、ネイエドリー、マソプスト、パネンカ、オンドルーシュ
【現在の監督】 カレル・ブルックナー
【現在の有名選手】 ネドベド、ロシツキー、バロシュ
【FIFA略称】 CZE
【FIFA世界ランキング】 2位
1993年にチェコスロバキアからチェコとスロバキアに分離し成立した新興国家。とはいえ、チェコサッカー協会は1901年に創立し、1907年にはFIFAへ加盟していた。1919年からチェコスロバキアとして活動し、分離後にチェコサッカー協会として再びFIFAへ加盟したのが1994年。
チェコスロバキアは東欧屈指のサッカー大国で、ワールドカップ本大会に8回出場し準優勝2回、五輪では優勝1回、準優勝1回、欧州選手権で優勝1回、3位2回という好成績を残している。
技術とフィジカルを兼備する選手を多く抱えているのが特徴で、近年はネドベド、ポボルスキー、ベルガー、ロシツキーといった優れたタレントを次々に輩出している。2004年の欧州選手権ポルトガル大会では優勝候補の一角を占め、実際、準決勝で前半にネドベドを欠き敗退するまでは素晴らしいパフォーマンスを披露し、ベスト4の成績を残した。
長く代表を支えてきたネドベド、ポボルスキー、スミチェル、コレルといった選手たちは、年齢的に次のワールドカップが限界だと思われる。これまでタイトルにこそ手は届いていないが、非常に素晴らしい戦績を残し、チェコをFIFA世界ランキング上位の常連国へ押し上げている。それだけに、予選を突破し、2006年に最後の挑戦をしたいところであろう。
投稿者 lifestyle : 09:42 | コメント (0)
スペイン

《正式名称》 Espana ( Reino de Espana )
《ユニフォームカラー》 赤/青/青
【通称】 Spain
【首都】 マドリード![]()
【言語】 スペイン語
【国土】 504,782 km2![]()
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【人口】 4,022万人
【協会創立】 1913年
【FIFA加盟】 1904年
【W杯出場】 11回
【五輪出場】 9回 (優勝1回=1992)
【欧州選手権出場】 6回 (優勝1回=1964)
【過去の有名選手】 リカルド・サモラ、ヘント、ルイス・スアレス、アマンシオ、ブトラゲーニョ
【現在の監督】 ルイス・アラゴネス
【現在の有名選手】 ラウール、プジョル、カシージャス
【FIFA略称】 ESP
【FIFA世界ランキング】 6位
レアル・マドリード、バルセロナといった世界的なクラブを有し、現在、世界最高峰のリーグを抱える南欧のサッカー大国スペインだが、代表での実績は物足りないものになっている。A代表での大きなタイトルは、ルイス・スアレス、アマンシオ、イリバルらを擁した1964年欧州選手権優勝のみ。
他国に比べて国民の関心が代表よりクラブに集まっているというのは事実だが、有名選手を輩出していても、大きなトーナメントでは好タレントをチームとして纏められず勝ちきれないというパターンが慢性化しているというのが最大の要因であるといえるだろう。
2002年コリア・ジャパン大会でも、イエロ、ルイス・エンリケ、モリエンテス、プジョル、カシージャスら好タレントを揃え危なげなくグループリーグを突破するも、決勝トーナメントでエースでありチームの中心であるラウールを怪我で欠くと途端に調子を崩し、開催国である韓国の前に屈した。近年、五輪やワールドユースなどの若いカテゴリーでは欧州一の成績を収めていて、今後のA代表での飛躍が期待されている。
ちなみに、攻撃的なタレントや華麗なサッカーというイメージで知られるスペインだが、欧州では昔から優れたGKを生み出す国として知られている。レフ・ヤシンと並びサッカー史上のベストGKとして挙げられるリカルド・サモラや、1960年代に欧州一といわれたイリバル、以後もアルコナダやスビサレッタなどの良質な選手を輩出してきた。近年ではレアル・マドリードのカシージャス、バレンシアのカニサレス、デポルティーボのモリーナらが活躍してきたのに加え、バルセロナのビクトル・バルデス、リバプールのレイナといった若手も育ってきている。
投稿者 lifestyle : 09:29 | コメント (0)
オランダ

《正式名称》 Koninkrijk der Nederlanden
《ユニフォームカラー》 オレンジ/白/青
【通称】 Holland ( Netherlands )
【首都】 アムステルダム![]()
【言語】 オランダ語
【国土】 41,526 km2![]()
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【人口】 1,615万人
【協会創立】 1889年
【FIFA加盟】 1904年
【W杯出場】 7回
【五輪出場】 7回
【欧州選手権出場】 7回 (優勝1回=1988)
【過去の有名選手】 ヨハン・クライフ、ファン・バステン、フリット、ライカールト、ロナルド・クーマン
【現在の監督】 マルコ・ファン・バステン
【現在の有名選手】 ファン・ニステルローイ、ファン・デル・ファールト、コク
【FIFA略称】 NED
【FIFA世界ランキング】 3位
現在では欧州の強豪国というイメージがあるが、クライフ世代が登場するまでのオランダは決してサッカー大国ではなかった。しかし、名門アヤックスとオランダ代表において、名将ミケルス監督の下、天才クライフを中心とした「ト-タルフットボール」が完成し、欧州サッカー界を席巻してからは、1974年、1978年と連続でワールドカップ準優勝、そのセンセーショナルなプレーを観て育った年代であるファン・バステンらによって今度は1988年欧州選手権優勝、近年ではベルカンプやクライフェルトら好タレントを揃えたチームが1998年ワールドカップ準決勝進出、といったように、すっかり欧州有数の強国としての地位を築いている。
彼らの成功に一役買っていると思われるのが、育成組織の充実。とりわけアヤックスのユースは有名で、ヨハン・クライフから始まり、ライカールト、ファン・バステン、そしてベルカンプ。1990年代のオランダ代表を支えたファン・デル・サール、デ・ブール兄弟、ダービッツ、クライフェルト、セードルフといった面々もアヤックスから巣立った。近年は外国人選手の多さも指摘されるが、ファン・デル・ファールト、ファン・デル・メイデ、スナイデル、ハイティンガといった代表クラスの選手を輩出している。
選手の傾向としては技術レベルの非凡さがまず挙げられる。また、オランダ人が好むサッカーは、美しく攻撃的なスタイルであると同時に、機能的で効率が良いというのも特徴だろう。一言でテクニックを重視するサッカーといっても、南米や南欧の人々が求めるサッカーとオランダ人のそれは少し違ったものだといえるかもしれない。
ちなみに、オランダは世界一平均身長の高い国として知られている。統計にもよるが、男性は平均182~185cm、女性でも平均170cmを下らないというから驚きだ。実際、オランダ代表にはファン・バステン、フリット、ベルカンプ、クライフェルト、ファン・ニステルローイといったように、大柄で器用な選手が多い。
投稿者 lifestyle : 09:09 | コメント (0)
メキシコ
《正式名称》 Estados Unidos Mexicanos
《ユニフォームカラー》 緑
【通称】 Mexico
【首都】 メキシコシティ
【言語】 スペイン語
【国土】 1,972,550 km2
【人口】 10,491万人
【W杯出場回数】 12回
【五輪出場回数】 8回
【CONCACAFゴールドカップ優勝】 4回
【過去の有名選手】 ウーゴ・サンチェス、ホルへ・カンポス、ガルシア・アスペ、スアレス、エルナンデス
【現在の監督】 リカルド・ラボルペ
【現在の有名選手】 マルケス、ボルヘッティ、ブランコ
【FIFA略称】 MEX
【FIFA世界ランキング】 7位
今まで北中米の雄といえばメキシコ以外に思い付かなかったが、現在はアメリカ合衆国も力を付けてきている。しかし、豊富な運動量とパスワークを武器に独特のスタイルで南米や欧州の強豪と渡り合える北中米唯一の国であることに変わりない。いまだにそのポテンシャルは頭一つ抜けているといえよう。
北中米のサッカー連盟が開催するCONCACAFゴールドカップは、北中米カリブ海諸国に、他地域から招待したチームを加え争われる大会で、1991年からまだ8回しか開催されていないが、そのうちメキシコは4回優勝している。ワールドカップでのビッグタイトルこそないが、常に強国を苦しめる実力者としての地位は揺るぎないものとなっている。
投稿者 lifestyle : 08:41 | コメント (0)
イングランド

《正式名称》 England
《ユニフォームカラー》 白/紺/白
【通称】 England
【首都】 ロンドン![]()
【言語】 英語
【国土】 130,423 km2![]()
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【人口】 5,010万人
【協会創立】 1863年
【FIFA加盟】 1905年
【W杯出場】 11回 (優勝1回=1966)
【五輪出場】 0回
【欧州選手権出場】 7回
【過去の有名選手】 マシューズ、チャールトン、バンクス、ムーア、キーガン
【現在の監督】 スベン・ゴラン・エリクソン (スウェーデン)
【現在の有名選手】 ベッカム、オーウェン、ルーニー、ランパード、ジェラード
【FIFA略称】 ENG
【FIFA世界ランキング】 9位
近代サッカーの基礎を作った国であり、「サッカーの母国」「サッカー発祥の地」と呼ばれている。世界最古のサッカー大会である「FAカップ」は、最も繁栄している国内カップであるといえるだろう。しかし、大きなタイトルはボビー・チャールトンらを擁した1966年の自国開催ワールドカップでの優勝のみで、まだ欧州選手権を制したこともなく、近年、国民は新しい優勝カップを強く切望している。
1970年代以降、ケビン・キーガン、ブライアン・ロブソン、グレン・ホドル、クリス・ワドル、ギャリー・リネカー、デビッド・プラット、ポール・ガスコイン、アラン・シアラー、スティーブン・マクマナマン、ポール・スコールズ、ロビー・ファウラー…多くのスター選手を輩出してはいるが、ビッグタイトルに手が届いていない。
現在はイングランド初の外国人監督となるスウェーデン人エリクソンを招聘し、ベッカム、オーウェン、ルーニー、ランパード、ジェラード、リオ・ファーディナンド、テリーら好タレントを揃えたチームは虎視眈々とドイツでのビッグタイトルへ照準を合わせている。
なお、サッカーの国際大会には“英国”ではなく4協会に別れて出場することが多いため、イングランドとしては五輪に出場していないが、“英国”で五輪に参加していた1960年以前には、1908年、1912年と2回の優勝経験がある。
※右上の画像は英国地図。
投稿者 lifestyle : 08:21 | コメント (0)
ポルトガル

《正式名称》 Republica Portuguesa
《ユニフォームカラー》 赤/緑/赤
【通称】 Portugal
【首都】 リスボン![]()
【言語】 ポルトガル語
【国土】 92,391 km2![]()
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【人口】 1,010万人
【協会創立】 1914年
【FIFA加盟】 1923年
【W杯出場】 3回
【五輪出場】 3回
【欧州選手権出場】 4回
【過去の有名選手】 エウゼビオ、マリオ・コルナ、パウロ・フットレ、パウロ・ソウザ、ジョアン・ピント
【現在の監督】 ルイス・フェリペ・スコラーリ(ブラジル)
【現在の有名選手】 フィーゴ、ルイ・コスタ、デコ
【FIFA略称】 POR
【FIFA世界ランキング】 10位
1989年、1991年にワールドユースを連覇した「ゴールデンジェネレーション」と呼ばれる世代であるフィーゴ、ルイ・コスタ、パウロ・ソウザ、ジョアン・ピントらの台頭もあり、今でこそ世界的なスター選手を多く抱える国として認められているが、長い歴史から見れば、ポルトガルが欧州有数のサッカー大国であるとは言い難い。
しかし、ゴールデンジェネレーションの全盛期である2000年に欧州選手権で3位になった以降も、ブラジル人MFデコが帰化により加入し、また、クリスティアーノ・ロナウド、マニシェ、リカルド・カルバーリョなどの新しい優れたタレントが現れたこともあり、大きなレベルダウンは避けられている。それどころか、国内王者だったFCポルトが03-04シーズンに欧州CLでも優勝、ポルトガル代表が2004年の自国開催欧州選手権で準優勝を遂げるなど、順調に好成績を残しているといえる。
1960年代、エウゼビオやコルナを擁してポルトガル代表がワールドカップで3位になり、ベンフィカが欧州チャンピオンズ・カップを連覇した頃の成績を越えられるかどうか、今後の飛躍が注目されている。
投稿者 lifestyle : 08:05 | コメント (0)
2005年08月08日
イタリア

《正式名称》 Repubblica Italiana
《ユニフォームカラー》 青/白/青
【通称】 Italy
【首都】 ローマ![]()
【言語】 イタリア語
【国土】 301,230 km2![]()
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【人口】 5,800万人
【協会創立】 1898年
【FIFA加盟】 1905年
【W杯出場】 15回 (優勝3回=1934、1938、1982)
【五輪出場】 13回 (優勝1回=1936)
【欧州選手権出場】 6回 (優勝1回=1968)
【過去の有名選手】 ディノ・ゾフ、ジャンニ・リベラ、ルイジ・リーバ、フランコ・バレージ、ロベルト・バッジョ
【現在の監督】 マルチェロ・リッピ
【現在の有名選手】 トッティ、ネスタ、デル・ピエーロ
【FIFA略称】 ITA
【FIFA世界ランキング】 12位
欧州有数のサッカー大国。綺麗な青色のユニフォームを着用する代表チームは“アッズーリ(青)”の愛称で広く知られている。これに対して若い世代の代表チームは“アッズリーニ(小さなアッズーリ)”と呼ばれる。自国リーグのセリエAは、スペイン、イングランドと並んで欧州三大リーグと呼ばれ興隆しているが、特に1980年代後半から1990年代前半にかけては世界のスターが一堂に集う最強リーグとして繁栄していたので、現在でも日本ではメディアへの露出度が一番高い。
代表レベルでは世界的に見てもブラジル、ドイツに次ぐ実績を誇る強国だが、独裁者ムッソリーニの時代のタイトルを除くと、1968年欧州選手権優勝と1982年ワールドカップ優勝しか残らない、というのもまた事実だろう。しかし、毎回、W杯や欧州選手権では必ずといっていいほど優勝候補の一角を占めている。どちらかというと不利な状況を得意とするイメージがあり、グループリーグで低調なパフォーマンスに終始していても、決勝トーナメントでは粘り強い戦いを披露することが多い。
サッカーのスタイルとしては、美学的意識よりも結果を重んじるので堅守一辺倒というイメージがあるが、実際は、優れたディフェンダーと共に、技術の高い天才肌のフォワードも多く生み出すのが特徴だといえる。近年であれば、パオロ・マルディーニ、ネスタ、ファビオ・カンナバーロのDFラインは有名だが、一方でロベルト・バッジョを筆頭に、ゾラ、ディ・カーニオ、デル・ピエーロ、モルフェオといったテクニシャンも輩出している。
ちなみに、日本のメディアが頻繁に使う言葉「ファンタジスタ」「カテナチオ」は共にイタリア語が語源になっている。しかし、「ファンタジスタ」とは、高いテクニックを駆使して創造的なプレーをする稀有な選手のことをいい、古くは「超頭脳」と呼ばれた天才イタリア人MFジャンニ・リベラ、最近であればアッズーリの至宝として多くのファンに愛され続けたロベルト・バッジョなど、極限られた選手にのみ与えられる言葉であるということは知っておくべきであろう。「カテナチオ」とはイタリア語で「かんぬき、南京錠」、つまり鍵をかけたように堅いディフェンスを敷くことをいい、一般的には1960年代にインテル・ミラノを率いていたアルゼンチン人監督エレニオ・エレナが完成させたシステムのことを指す。
投稿者 lifestyle : 16:03 | コメント (0)
米国
《正式名称》 United States of America
《ユニフォームカラー》 白/紺
【通称】 United States of America
【首都】 ワシントン
【言語】 英語
【国土】 9,629,091 km2
【人口】 2億9,034万人
【W杯出場回数】 7回
【五輪出場回数】 12回
【CONCACAFゴールドカップ優勝】 3回
【過去の有名選手】 ウィナルダ、オルブライト、ララス
【現在の監督】 ブルース・アレーナ
【現在の有名選手】 クラウディオ・レイナ、フリーデル、ケラー
【FIFA略称】 USA
【FIFA世界ランキング】 8位
米国といえば「サッカー不毛の地」というイメージが強いが、その理由は二つ考えられる。まず、アメリカンフットボール、野球、バスケットボール、アイスホッケーが盛んで、サッカーはマイナースポーツのうちの一球技に過ぎないから。二つ目は、サッカー史に名を残すような偉大な選手を生み出していないから。実際、この二つは正しいだろう。
しかし、第1回ワールドカップで3位になるなど、その歴史は意外に長く、ワールドカップや五輪の出場回数も非常に多い。戦術や組織力を武器に好成績を残すことに成功しているというのが一番の特徴で、今後は北中米においてメキシコと頂点の座を争っていくと見られている。現在、まだ10代だが、アドゥーという逸材も誕生していて、その成長ぶりはすでに欧州のビッグクラブからも注目されているようだ。
投稿者 lifestyle : 15:45 | コメント (0)
アイルランド共和国

《正式名称》 Republic of Ireland
《ユニフォームカラー》 緑/白/緑
【通称】 Republic of Ireland
【首都】 ダブリン![]()
【言語】 英語、アイルランド語
【国土】 70,284 km2![]()
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【人口】 384万人
【協会創立】 1921年
【FIFA加盟】 1923年
【W杯出場】 3回
【五輪出場】 1回
【欧州選手権出場】 1回
【過去の有名選手】 ジャイルス、ブレイディ、マグラー
【現在の監督】 スティーブ・スートントン
【現在の有名選手】 ロイ・キーン、ダフ、ロビー・キーン
【FIFA略称】 IRL
【FIFA世界ランキング】 29位
2002年コリア・ジャパン大会ではイランとの大陸間プレーオフを制して本大会出場を果たし、結果はベスト16敗退ながら、闘志溢れる戦いぶりで鮮烈なインパクトを放った。
長い間、代表チーム・クラブ共に国際舞台で目立った成績は残していないが、イングランド・リーグやスコットランド・リーグに多くの優れた選手を輩出している。現在もほぼ全ての代表選手がイングランドのプレミア・リーグに所属し活躍している。トッテナムのロビー・キーン、チェルシーのダフ、エバートンのキルベイン、チャールトンのホランド、ニューキャッスルのギブンといったように、チームの主力選手も少なくない。
歴代のスター選手としては、1990年代半ばから、キャプテンマークを付けてマンチェスター・ユナイテッドを支え続けている「闘将」ロイ・キーン、1960年代後半から1970年代前半にかけてリーズに黄金時代を築いたジョニー・ジャイルス、1970年代から1980年代にかけてアーセナル、ユベントス、インテルミラノなどで活躍したゲームメイカーのブレイディ、マンチェスター・ユナイテッドやアストン・ビラで活躍し「キング」や「ゴッド」の愛称で親しまれたマグラー、などが特に有名だろう。
投稿者 lifestyle : 15:22 | コメント (0)
スウェーデン

《正式名称》 Konungariket Sverige
《ユニフォームカラー》 黄/青/黄
【通称】 Sweden
【首都】 ストックホルム![]()
【言語】 スウェーデン語
【国土】 449,964 km2![]()
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【人口】 888万人
【協会創立】 1904年
【FIFA加盟】 1904年
【W杯出場】 10回
【五輪出場】 9回 (優勝1回=1948)
【欧州選手権出場】 3回
【過去の有名選手】 グレン、ノルダール、リードホルム、ハムリン、ブロリン
【現在の監督】 ラルス・ラガーベッグ
【現在の有名選手】 ラーション、リュンベリ、イブラヒモビッチ
【FIFA略称】 SWE
【FIFA世界ランキング】 16位
北欧の雄。世界的に見ても欧州有数の古豪で、1948年にロンドン五輪優勝、ワールドカップでは1950年ブラジル大会3位、1958年スウェーデン大会で準優勝している。また、1992年の欧州選手権と1994年のワールドカップで共にベスト4進出を果たすなど、近年も安定した成績を残しているといえよう。
1948年ロンドン五輪でスウェーデンを優勝へ導き、クラブレベルではイタリアのACミランに多くのタイトルをもたらしたグレン、ノルダール、リードホルムの「グレ・ノ・リ」トリオや、1960年代に同じくイタリアのフィオレンティーナやACミランで活躍したハムリンなど、サッカー史に名を残すスター選手も輩出している。
現在も、長くスコットランドの名門セルティックに所属し、クラブ史に残る英雄的存在となったラーション(現在はスペインのバルセロナに在籍)、イングランドのアーセナルで活躍するリュンベリ、オランダのアヤックスからイタリアのユベントスへ渡り、日々成長を続けているイブラヒモビッチなど、とりわけ前線には豪華な陣容を擁している。
投稿者 lifestyle : 15:03 | コメント (0)
デンマーク

《正式名称》 Kongeriget Danmark
《ユニフォームカラー》 赤/白/赤
【通称】 Denmark
【首都】 コペンハーゲン
【言語】 デンマーク語![]()
【国土】 43,094 km2
【人口】 538万人![]()
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【協会創立】 1889年
【FIFA加盟】 1904年
【W杯出場】 4回
【五輪出場】 8回
【欧州選手権出場】 6回 (優勝1回=1992)
【過去の有名選手】 シモンセン、オルセン、レアビー、ミカエル・ラウドルップ、シュマイケル
【現在の監督】 モアテン・オルセン
【現在の有名選手】 グラベセン、トマソン、セーレンセン
【FIFA略称】 DEN
【FIFA世界ランキング】 14位
サッカーの歴史は長く、1889年に協会が設立され、五輪では1908年と1912年に準優勝、1948年3位、1960年準優勝といったように、優勝までは一歩届かなかったが素晴しい成績を残してきた。
1970年代になると、ドイツのボルシア・メンヘングラッドバッハやスペインのバルセロナで活躍したシモンセンを筆頭に、世界的なスター選手を輩出する。1980年代に「ダニッシュ・ダイナマイト」の異名をとったデンマーク代表の面々、オルセン、レアビー、エルケーア、ミカエル・ラウドルップらは揃って国外の有名クラブで中心選手としてプレーしていた。1992年の欧州選手権では、ユーゴスラビアの代替出場ながらも、悲願のビッグタイトルを獲得している。
特徴としては、スピードのある優れたウインガーを擁して攻撃的なサッカーを展開するスタイルが挙げられる。スピードとテクニックを兼ね備えたタイプの選手が多く、古くはシモンセンやラウドルップ兄弟、現在ではヨルゲンセン、グロンキア、ロンメダールなどがいる。
投稿者 lifestyle : 14:45 | コメント (0)
トルコ

《正式名称》 Turkiye Cumhuriyeti
《ユニフォームカラー》 赤/赤/赤
【通称】 Turkey
【首都】 アンカラ![]()
【言語】 トルコ語
【国土】 780,580 km2![]()
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【人口】 6,811万人
【協会創立】 1923年
【FIFA加盟】 1923年
【W杯出場】 2回
【五輪出場】 6回
【欧州選手権出場】 2回
【過去の有名選手】 ビュレント
【現在の監督】 ファティ・テリム
【現在の有名選手】 ニハト、トゥガイ、ハカン・シュキュル
【FIFA略称】 TUR
【FIFA世界ランキング】 11位
熱狂的な国内リーグを持ちながら、なかなか国際舞台では成功できなかったトルコだが、そういった状況は変化してきている。国内随一の強豪ガラタサライの1999-2000シーズンUEFAカップ優勝、トルコ代表の2000年欧州選手権ベスト8、2002年ワールドカップ3位、近年、トルコ・サッカーの興隆は本当に素晴しい。
元々諸外国への移住者が多い国なので、ドイツのブンデス・リーガでプレーするトルコ人選手は比較的多い。また、近年の躍進に伴い、スペイン、イングランド、イタリアなどの欧州トップリーグでプレーする代表選手も増加した。しかし国内リーグの盛況も全く衰えず、前述のガラタサライ、フェネルバフチェ、ベジクタシュといったビッグクラブが毎年、国外から幾人かのスター選手を加え、優勝争いを繰り広げている。
ちなみに、“西洋と東洋が交錯する”などと表現されることの多いトルコだが、地理的にはちょうどヨーロッパとアジアの中間に位置している。西側はギリシャやブルガリアと隣接し、東側はシリアやイラクと隣接する。とはいえ、ヨーロッパ側(東トラキア地方)は非常に狭く、国土の大部分がアジア側(アナトリア半島)であることや、国民の大半がイスラム教徒であることなどから、アジア(中東)的なイメージのほうが強いかもしれない。
サッカーの世界に限れば、トルコは以前から欧州サッカー連盟(UEFA)に加盟している。しかし、政治経済においては、欧州連合(EU)への加盟が認められていない。今のところは申請を繰り返している段階だが、もし、EU加盟が実現すれば、欧州トップリーグへの移籍を目論むトルコ人選手にとって朗報となるだろう。
投稿者 lifestyle : 14:21 | コメント (0)
ウルグアイ

《正式名称》 Republica Oriental del Uruguay
《ユニフォームカラー》 水色/黒/黒
【通称】 Uruguay
【首都】 モンテビデオ![]()
【言語】 スペイン語
【国土】 176,220 km2![]()
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【人口】 340万人
【協会創立】 1900年
【FIFA加盟】 1923年
【W杯出場】 10回 (優勝2回=1930、1950)
【五輪出場】 2回 (優勝2回=1924、1928)
【コパ・アメリカ優勝】 13回
【過去の有名選手】 ホセ・ナサシ、ホセ・アンドラーデ、サンタマリア、スキアフィーノ、フランチェスコリ
【現在の監督】 ホルヘ・フォサッティ
【現在の有名選手】 フォルラン、レコバ、パブロ・ガルシア
【FIFA略称】 URU
【FIFA世界ランキング】 23位
ブラジル、アルゼンチンという2大国と海の3つに囲まれた南米の小国だが、サッカーの世界では泣く子も黙る古豪中の古豪。1924年パリ五輪、それまで交流のなかった南米からウルグアイがやってきて、圧倒的な強さで優勝してしまったのを観たヨーロッパの人々はさぞかし驚いたに違いない。
“生まれながらのキャプテン”と呼ばれたナサシや“黒い驚異”と恐れられたホセ・アンドラーデに率いられたウルグアイ代表は、1928年アムステルダム五輪も制覇、これと同時期のコパ・アメリカでは1923年、1924年、1926年に優勝、そして極め付けは1930年第1回ワールドカップ優勝である。
移動手段が船しかなかったこともあり南米に来ようとしなかった欧州諸国への反発から、ヨーロッパで行われた1934年、1938年のワールドカップには参加しなかったが、戦後初の大会となった1950年ブラジル大会でも優勝し、サッカー史にその名をしっかり刻んでいる。当時のウルグアイにはスキアフィーノ、ギジャといった新しいスター選手が生まれていた。
1950年大会は1次リーグの勝者4チームで優勝を争う“決勝リーグ”方式が採用されていたが、事実上の決勝となった開催国ブラジル戦において、ウルグアイ代表はマラカナン・スタジアムで21万人の大観衆を前に見事な逆転勝利を演じている。この敗戦のショックにより、ブラジル代表がユニフォームを現在のカナリア・カラーに変更したという話はあまりにも有名。
ちなみに、ウルグアイの人種構成としてはアルゼンチン同様、スペイン系やイタリア系の白人が多いが、メスティーソや黒人も珍しくはない。まさにブラジルとアルゼンチンの間に位置する国、といったところか。しかしサッカーのスタイルでは、アルゼンチンによく似ていて(もしくはそれ以上に)、激しいプレーが特徴となっている。
各ポジションに優れた選手を輩出しているが、特筆すべきはディフェンダーだろう。古くは1924年、1928年の両五輪優勝と1930年のW杯優勝に大きく貢献した“生まれながらのキャプテン”ことホセ・ナサシ、1950~60年代にレアル・マドリードの最終ラインを支えたホセ・サンタマリア、1980年代にリベルタドーレス杯を3度制し“優勝請負人”とまで呼ばれたウーゴ・デレオン、最近ではイタリアのユベントスで長く活躍したパオロ・モンテーロらが有名。
もちろん南米だけあり、“ゴールの詩人”という愛称で親しまれたルベン・ソサや、フランスのジダンが憧れの選手として挙げているエンツォ・フランチェスコリ、現在ではインテルのアルバロ・レコバなど、テクニシャンたちも生み出している。
投稿者 lifestyle : 14:04 | コメント (0)
日本

《正式名称》 日本国
《ユニフォームカラー》 青/白/青
【通称】 Japan
【首都】 東京![]()
【言語】 日本語
【国土】 377,835 km2![]()
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【人口】 1億2,721万人
【協会創立】 1921年
【FIFA加盟】 1929年
【W杯出場】 2回
【五輪出場】 7回
【アジア・カップ優勝】 3回
【過去の有名選手】 杉山隆一、釜本邦茂、奥寺康彦、木村和司、井原正巳
【現在の監督】 ジーコ (ブラジル)
【現在の有名選手】 三浦知良、中田英寿、中村俊輔
【FIFA略称】 JPN
【FIFA世界ランキング】 18位
近年、アジアの雄としての地位を築きつつある日本だが、ここまで来るのには長く険しい道程があったといえる。日本がワールドカップ本大会において初出場を遂げたのは1998年フランス大会、つい最近なのだから……。
2002年は自国開催なので予選免除、よって次のドイツ大会で通算2回目の予選突破なのである。五輪においては古くから参加していて、ドイツ人デットマール・クラマーによる指導の下、釜本と杉山を擁したチームは1968年メキシコ五輪で3位に入り、アジア諸国初のメダル獲得という快挙を成し遂げた。
しかし、その後、日本サッカー界は低迷期に入り、Jリーグ開設が決まって著しい盛り上がりを見せた1990年代まで、国際舞台において日本サッカーは存在しなかったといっていい。
約20年の低迷期を経て、サッカー王国ブラジルから帰化したスター選手ラモス瑠偉や日本を代表する人気サッカー選手“カズ”こと三浦知良の登場、自国開催の1992年アジアカップで初優勝、そして1993年のJリーグ開幕、1994年“ドーハの悲劇”、1996年に28年ぶりとなるアトランタ五輪出場、1998年にはワールドカップ本大会初出場、さらに中田英寿らの欧州移籍を挟み、2000年シドニー五輪出場、2002年ワールドカップ自国開催……ここ10年の日本サッカーは世界でも稀に見る激動の時を迎えていたのだといえるだろう。
W杯や五輪の本大会へコンスタントに出場できるようになった現在、2006年ドイツ・ワールドカップでのさらなる飛躍が期待される。
投稿者 lifestyle : 13:45 | コメント (0)
ギリシャ

《正式名称》 Ελληνικ? Δημοκρατ?α
《ユニフォームカラー》 青/白/青
【通称】 Greece ( Hellenic Republic )
【首都】 アテネ![]()
【言語】 ギリシャ語
【国土】 131,940 km2![]()
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【人口】 1,067万人
【協会創立】 1926年
【FIFA加盟】 1927年
【W杯出場】 1回
【五輪出場】 3回
【欧州選手権出場】 2回 (優勝1回=2004)
【過去の有名選手】 アポストラキス、ニコライディス、マフラス
【現在の監督】 オットー・レイハーゲル (ドイツ)
【現在の有名選手】 ザゴラキス、ニコポリディス、ツァルタス
【FIFA略称】 GRE
【FIFA世界ランキング】 21位
ギリシャは、エーゲ海、地中海、イオニア海に囲まれたバルカン半島最南端に位置する大陸部と幾多の島から形成されている海洋国家。かつて西洋文明が生まれた場所であり、オリンピック発祥の地としても有名だろう。
非常に歴史の深い国だが、サッカーでは隣国トルコ同様、非常に熱狂的な国内リーグを持ちながら、代表チームにはなかなか反映されないという状況が長く続いてきた。ワールドカップ本大会出場は僅か1回で、それも極最近、1994年のアメリカ大会である。
しかし、近年のトルコの躍進に刺激されてか、ドイツ人の名将レイハーゲルに率いられたギリシャ代表チームは2004年の欧州選手権でフランスやチェコといった優勝候補を軒並み破り、決勝では地元ポルトガルを倒して見事にチャンピオンチームとなった。アテネ五輪も開催され、2004年はまさにギリシャの年になったといえよう。
欧州選手権後のA代表は、2006年ワールドカップ・ドイツ大会への出場が危ぶまれるなど、一時的なモチベーションの低下と気持ちの緩みが心配されている。
投稿者 lifestyle : 13:27 | コメント (0)
ドイツ

《正式名称》 Bundesrepublik Deutschland
《ユニフォームカラー》 白/黒/白
【通称】 Germany
【首都】 ベルリン![]()
【言語】 ドイツ語
【国土】 357,021 km2![]()
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【人口】 8,242万人
【協会創立】 1900年
【FIFA加盟】 1904年
【W杯出場】 独:5回、西独:10回 (優勝3回=1954、1974、1990) 、東独:1回
【五輪出場】 独:3回、西独:5回、東独:4回 (優勝1回=1976)
【欧州選手権出場】 独:3回 (優勝1回=1996) 、西独:6回 (優勝2回=1972、1980) 、東独:0回
【過去の有名選手】 ウーべ・ゼーラー、ベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー、ルンメニゲ、マテウス
【現在の監督】 ユルゲン・クリンスマン
【現在の有名選手】 カーン、バラック、シュナイダー
【FIFA略称】 GER
【FIFA世界ランキング】 22位
ブラジルと並んで世界のサッカー界に君臨する大国。ワールドカップ優勝3回、準優勝4回は全て戦後で、欧州選手権では優勝3回、準優勝2回とその実績は欧州で完全にずば抜けている。
1972年に欧州選手権を制覇し、1974年自国ワールドカップで優勝したベッケンバウアー、ゲルト・ミュラー、ブライトナー、オベラート、ゼップ・マイヤーらはドイツ代表史上最も有名なメンバーだろう。彼らの多くは当時バイエルン・ミュンヘンでプレーしていて、1974、1975、1976年と3シーズン連続で欧州チャンピオンズ・カップを制するなど、まさにドイツ・サッカーの黄金時代を築いたといっていい。
その後もルンメニゲ、シュスター、マテウス、クリンスマン、ザマー、メラー、カーン、バラックといったように、世界的な選手を生み出し続けてきたが、近年は珍しくタレント不足に泣いている。とはいっても、劣勢たるや“ゲルマン魂”で乗り越えてしまうのがドイツであり、期待されていなかった2002年コリア・ジャパン大会でも見事に決勝まで進出してみせた。
圧倒的な実績を誇る強国であり、贅沢な悩みになるが、東西ドイツ統一後のW杯タイトルがないのは少し物足りないかもしれない。そういった意味でも、2006年の地元開催ワールドカップでは伝統的な力と共に若手の奮起が期待されている。
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イラン

《正式名称》 ?????? ?????? ?????
《ユニフォームカラー》 白/白/白
【通称】 Iran
【首都】 テヘラン![]()
【言語】 ペルシア語
【国土】 1,648,000 km2![]()
【人口】 6,828万人
【協会創立】 1920年
【FIFA加盟】 1945年
【W杯出場】 2回
【五輪出場】 3回
【アジア・カップ優勝】 3回
【過去の有名選手】 アリ・パルビン、ハッサン・ロウシャン、エスカンダリアン
【現在の監督】 ブランコ・イバンコビッチ (クロアチア)
【現在の有名選手】 ダエイ、マハダベキア、カリミ
【FIFA略称】 IRN
【FIFA世界ランキング】 19位
1960年代後半から1970年代にかけてアジア・カップ3連覇を達成し、1978年にワールドカップ初出場を果たしているアジア屈指の強豪国。2006年ワールドカップ本大会の出場も決めていて、まさに今後、韓国と共に日本の前に立ちはだかるであろうアジアのライバル国であるといえるだろう。なお、アジア・カップとは別の大会である『アジア大会』では、1970、1990、1998年と3回優勝経験がある。
クラブレベルでは、ドイツ・リーグとの繋がりが強く、多くのイラン代表選手が行き来している。近年のイラン・サッカーを支えているアリ・ダエイ(かつてバイエルン・Mなどに在籍)、アジジ(かつてFCケルンに在籍)、バゲリ(かつてビーレフェルトに在籍)、マハダベキア(現ハンブルガーSV所属)の他にも、カリミ(現バイエルン・M所属)、ハシェミアン(現ハノーファー96所属)などの新しい優れたタレントを輩出している。
ちなみに、国名は(“アーリア人の国”を意味する)“イラン”で知られているが、正式には“イラン・イスラム共和国”。ペルシア語表記は“?????? ?????? ?????”で、これをラテン語に転写すると“Jomh?r?-ye Esl?m?-ye ?r?n”となる。公式の英語表記は“Islamic Republic of Iran”。1979年のイラン・イスラム革命以降はこの名称で呼ばれている。
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ナイジェリア
《正式名称》 Federal Republic of Nigeria
《ユニフォームカラー》 緑
【通称】 Nigeria
【首都】 アブジャ
【言語】 英語
【国土】 923,768 km2
【人口】 13,388万人
【W杯出場回数】 3回
【五輪出場回数】 5回 (優勝1回=1996)
【アフリカネーションズカップ優勝】 2回
【過去の有名選手】 ステファン・ケシ、イエキニ、アモカチ、ババンギダ、イクペバ
【現在の監督】 オーガスチン・エグアホン
【現在の有名選手】 オコチャ、カヌ、ヨボ
【FIFA略称】 NGA
【FIFA世界ランキング】 25位
1990年代以降、サッカー界にその勢力を拡大しているアフリカ諸国の旗頭的存在。愛称の“スーパーイーグルス”はよく知られている。
1980年代後半から、1985年U-16世界選手権優勝、1989年ワールドユース準優勝、1993年U-17世界選手権優勝といったように若い世代が台頭し始め、1994年にはアフリカ選手権優勝、同年ワールドカップ初出場及び決勝トーナメント進出を果たし、1996年アトランタ五輪では優勝と、着実に力を付けながら世界の舞台で好成績を残してきた。
ステファン・ケシ以降、欧州のリーグで活躍する選手も増え、現在では多くの選手が国外で実力を発揮している。現在、ナイジェリアを代表する2人のテクニシャン、ジェイジェイ・オコチャが中田英寿のいるボルトンに、ヌアンコ・カヌは稲本潤一のいるウェストブロムウィッチに所属しているので、日本のサッカーファンも彼らのプレーを目にする機会が増えたのではなかろうか。
投稿者 lifestyle : 12:22 | コメント (0)
韓国

《正式名称》 ???? ( 大韓民國 )
《ユニフォームカラー》 赤/白/赤
【通称】 Republic of Korea ( South Korea )
【首都】 ソウル![]()
【言語】 朝鮮語
【国土】 99,313 km2![]()
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【人口】 4,829万人
【協会創立】 1933年
【FIFA加盟】 1948年
【W杯出場】 6回
【五輪出場】 6回
【アジア・カップ優勝】 2回
【過去の有名選手】 チャ・ボングン、チェ・スノ、キム・ジュソン、ホン・ミョンボ、ファン・ソンホン
【現在の監督】 ディック・アドフォカート (オランダ)
【現在の有名選手】 パク・チソン、アン・ジョンファン、ユ・サンチョル
【FIFA略称】 KOR
【FIFA世界ランキング】 31位
イラン、日本と並ぶアジア屈指の強豪国。ワールドカップ出場回数はアジア最多を誇り、大陸中で最もコンスタントに力を維持している国だといえる。1954年にW杯本大会初出場を果たすと、1956年、1960年にはアジアカップを連覇し、その強さから“アジアの虎”と呼ばれた。1983年にプロ・リーグ(アマチュア・チームも含まれていたが)を発足させるなど、サッカーにおいては日本より一歩リードしている部分が多い。なお、『アジア・カップ』とは別の大会である『アジア大会』では3回の優勝回数(最多)を誇る。
1980年代にブンデス・リーガで長く活躍したチャ・ボングン、1989年から3年連続でアジア最優秀選手に輝いたキム・ジュソン、1990年から4大会連続でワールドカップに出場したホン・ミョンボ、2002年ワールドカップ後にオランダPSVへ渡りイングランドのマンチェスター・ユナイテッドに引き抜かれたパク・チソンなど、アジアを代表する選手を輩出してきた。隣国ということもあり、Jリーグでプレーする韓国人選手も多いが、国際舞台では日本にとって一番のライバル国になり続けるだろう。
投稿者 lifestyle : 12:07 | コメント (0)
カメルーン
《正式名称》 Republique du Cameroun
《ユニフォームカラー》 緑/赤
【通称】 Cameroon
【首都】 ヤウンデ
【言語】 フランス語、英語
【国土】 475,440 km2
【人口】 1,575万人
【W杯出場回数】 5回
【五輪出場回数】 2回 (優勝1回=2000)
【アフリカネーションズカップ優勝】 4回
【過去の有名選手】 ベル、ヌコノ、ロジェ・ミラ、ソンゴォ、エムボマ
【現在の監督】 アルチュール・ジョルジ
【現在の有名選手】 エトー、ソング、カメニ
【FIFA略称】 CMR
【FIFA世界ランキング】 22位
アフリカを代表するサッカー大国。初出場となる1982年W杯スペイン大会で世界にその実力をアピールし、2回目の出場となった1990年W杯イタリア大会ではベスト8進出を果たした。現在までW杯本大会出場5回、アフリカ選手権優勝4回、五輪優勝1回という素晴らしい成績を残してきている。
1982年W杯では、1次リーグでポーランド(0-0)、イタリア(1-1)、ペルー(0-0)と戦い、3引き分けの健闘を見せ、イタリアと勝ち点で並んだが、惜しくも総得点差1で敗退。最終的にボニエクやラトーを擁するポーランドが3位、イタリアが優勝まで登りつめたことを考えれば、カメルーンの実力が窺い知れるだろう。
同大会で、強国相手に3試合で1失点という数字からも察せられる通り、とりわけGKヌコノのプレーは絶賛された。ヌコノは2回のアフリカ最優秀選手に輝き、カメルーン代表とスペインのエスパニョールで長くゴールを守り続けたアフリカを代表する名GK。カメルーンは他にも優れたGKを多く輩出していて、ヌコノと同世代でフランスのマルセイユなどでプレーしたベル、スペインのデポルティーボで活躍したソンゴォ、現在、スペインのエスパニョールで注目されているカメニなどはよく知られている。
カメルーンでもう一つ触れなければならないポジションはFWだろう。伝説のFWロジェ・ミラ、1990年W杯で存在感を示したオマン・ビイク、日本でもお馴染みのエムボマ、現在スペインのバルセロナでエースを務めるエトーなど、こちらのポジションでも世界的な選手を生み出している。疑いなく、新大陸アフリカの中でも最も才能が溢れている国の一つといえる。
投稿者 lifestyle : 11:44 | コメント (0)
クロアチア

《正式名称》 Republika Hrvatska
《ユニフォームカラー》 赤・白/白/青
【通称】 Croatia
【首都】 ザグレブ![]()
【言語】 クロアチア語
【国土】 56,542 km2![]()
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【人口】 442万人
【協会創立】 1912年
【FIFA加盟】 1992年
【W杯出場】 2回
【五輪出場】 0回
【欧州選手権出場】 2回
【過去の有名選手】 ボバン、スーケル、ボクシッチ、プロシネツキ、ヤルニ
【現在の監督】 ズラトコ・クラニツァル
【現在の有名選手】 ロベルト・コバッチ、ニコ・コバッチ、ジブコビッチ
【FIFA略称】 CRO
【FIFA世界ランキング】 19位
1912年にサッカー協会を設立し、1940年代には独自のリーグを組織していたが、第二次世界大戦後はユーゴスラビアの一地域として、同国代表に加わっていた。
長い時間を経て、1992年に分離独立後、初めての国際舞台となる1996年欧州選手権で見事に予選を突破し本大会に出場。ちょうどこの頃、ACミランのズボニミール・ボバンや大会後にレアル・マドリッドへ引き抜かれるダボル・スーケルら世界に名立たるスター選手が多く生まれていたこともあり、続く1998年ワールドカップでは初の本大会出場を果たすに止まらず、3位入賞という偉業まで成し遂げている。
快進撃が止まったのはベスト4で、開催国フランスの前に惜しくも屈したわけだが、クロアチアにとって大会を通じアレン・ボクシッチを怪我で欠いていたことは悔やまれる。最前線のスーケルが好調を維持していただけに、技術とスピードを併せ持ちチャンスメイカーとしても抜群に機能するこの天才FWの存在があったなら…と感じたのはクロアチア人だけではないだろう。
現在のクロアチア代表だが、1990年代に一時代を築いたタレントたちが揃って引退の年齢に達したこともあり、大きな舞台で優勝候補などに挙げられることはなくなっている。しかし、1996年欧州選手権以降、1998年W杯、2002年W杯、2004年欧州選手権とコンスタントに本大会まで進んでいる実力は賞賛に値するだろう。2006年W杯予選でも、多少は組み分けに恵まれた感もあるが、堅実な試合運びで順調に勝ち点を重ねている。
投稿者 lifestyle : 11:26 | コメント (0)
ポーランド

《正式名称》 Rzeczpospolita Polska
《ユニフォームカラー》 白/赤/白
【通称】 Poland
【首都】 ワルシャワ![]()
【言語】 ポーランド語
【国土】 312,685 km2![]()
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【人口】 3,862万人
【協会創立】 1919年
【FIFA加盟】 1923年
【W杯出場】 6回
【五輪出場】 7回 (優勝1回=1972)
【欧州選手権出場】 0回
【過去の有名選手】 ガドーハ、ルバンスキ、デイナ、ラト、ボニェク
【現在の監督】 パウエル・ヤナス
【現在の有名選手】 デュデク、クジノベク、ハイト
【FIFA略称】 POL
【FIFA世界ランキング】 26位
18世紀に列強の分割で一時期消滅し、1918年に独立、しかし1939年、ドイツのポーランド侵攻により再び消滅し、第二次世界大戦後、国土を西側に移動し独立するも、東側の大半がソビエト連邦の領土になると共に、共産圏の一員として冷戦終結まで長くソビエト連邦の影響下に置かれた。ポーランドの歩みはヨーロッパの近代史そのものといえるかもしれない。
サッカーにおいては1919年、つまり国家の独立後1年でサッカー協会を創立して以来の長い歴史があるが、その中でも目立った成績を残したのは1970年代から1980年代前半であろう。1972年ミュンヘン五輪を制し、1974年ワールドカップでは3位、1976年モントリオール五輪で準優勝、そして1982年ワールドカップでは再度3位に輝いている。
またこの時代には多くの有名選手を輩出していて、1972年ミュンヘン五輪でチームを牽引した点取り屋のルバンスキ、1974年のW杯で得点王になったラト、1982年W杯3位に貢献しクラブレベルではイタリアのユベントスなどでも活躍したボニェク、といった面々はよく知られている。
投稿者 lifestyle : 11:02 | コメント (0)
コロンビア

《正式名称》 Republica de Colombia
《ユニフォームカラー》 黄/青/赤
【通称】 Colombia
【首都】 ボゴタ![]()
【言語】 スペイン語
【国土】 1,138,910 km2![]()
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【人口】 4,160万人
【協会創立】 1924年
【FIFA加盟】 1936年
【W杯出場】 4回
【五輪出場】 4回
【コパ・アメリカ優勝】 1回
【過去の有名選手】 バルデラマ、イギータ、リンコン、プレシアド、アスプリージャ
【現在の監督】 レイナルド・ルエダ
【現在の有名選手】 オスカル・コルドバ、イバン・コルドバ、ペレア
【FIFA略称】 COL
【FIFA世界ランキング】 30位
コロンビア・サッカーを語る上で、1986年は非常に重要な転機であった。一つは、コロンビアの代名詞ともいえる監督マツラナが就任したこと。もう一つは、若い世代が台頭し、南米ユース選手権で優勝したこと。
これ以降、コロンビア代表はマツラナ監督の下、バルデラマを中心に独特の攻撃サッカーを展開するチームとして注目され始め、1987年にコパ・アメリカでの3位を皮切りに、1990、1994、1998年と3回連続でワールドカップ本大会への出場を果たした。
バルデラマ世代が一線を退いてからも、2001年にコパ・アメリカ初優勝、クラブレベルではオンセ・カルダスがリベルタドーレス杯を制するなど、強豪の多い南米にあっても、その存在感を維持している。
以前はバルデラマ、イギータなど、とにかくド派手なスター選手が目立ったが、近年はモンドラゴン、オスカル・コルドバの両GKや、インテルミラノのイバン・コルドバ、アトレティコ・マドリードのペレアなど、後方にタレントを多く抱える傾向にあるようだ。
ちなみに、国の人種構成としては、メスティーソ(約6割)や白人(2割)が数字の上で大半を占めている。しかし、アフリカ系の黒人やその混血も珍しくはなく、これはサッカーのナショナルチームにも反映されているようだ。
また、南米大陸の北部に位置するコロンビアは、コーヒーとエメラルド、そして麻薬の産地で知られている。コロンビアという国については、スポーツや文化より麻薬組織の暗躍や治安の悪さによって語られることのほうが多い。つい最近も、米国へ麻薬を運ぶコロンビアの少女を主人公にした映画が2005年に日本で公開されていた。
サッカーに関しては、真っ先にエスコバル事件が挙げられるだろう。1994年W杯におけるオウンゴールが原因でエスコバルは大会後に銃殺されたわけだが、これにも麻薬組織とサッカー賭博が絡んでいたといわれる。以後、アンドレアス・エスコバルの名が、コロンビアサッカーを取り巻く暗い現状を思い起こさせるものとなってしまったのは残念なことである。
投稿者 lifestyle : 10:43 | コメント (0)
コスタリカ
《正式名称》 Republica de Costa Rica
《ユニフォームカラー》 白/青/赤
【通称】 Costa Rica
【首都】 サン・ホセ
【言語】 スペイン語
【国土】 51,100 km2
【人口】 390万人
【W杯出場回数】 2回
【五輪出場回数】 3回
【CONCACAFゴールドカップ】 0回
【過去の有名選手】 コネホ、カジャッソ、メドフォード
【現在の監督】 アレクサンドレ・ギマラエス
【現在の有名選手】 フォンセカ、ワンチョぺ、ゴメス
【FIFA略称】 CRC
【FIFA世界ランキング】 21位
憲法で常設軍の所持を廃止し、1983年には永世中立を宣言している。自然が豊かで識字率も中米随一、ちなみに「コスタ・リカ」とはスペイン語で「豊かな海岸」を意味する。中米諸国では珍しくヨーロッパ系の白人が94%を占めるという何かと風変わりな国。
サッカーにおいては、CCCF選手権で6回優勝、CONCACAF選手権で3回優勝し、早くから力を発揮。近年は五輪やワールドカップの本大会にも出場するなど、メキシコ、米国に次ぐ北中米3番手の地位を確かなものとしている。
投稿者 lifestyle : 10:25 | コメント (0)
サウジアラビア

《正式名称》 ??????? ???????? ??????????
《ユニフォームカラー》 白/緑/白
【通称】 Saudi Arabia
【首都】 リヤド![]()
【言語】 アラビア語
【国土】 1,960,582 km2![]()
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【人口】 2,429万人
【協会創立】 1959年
【FIFA加盟】 1959年
【W杯出場】 3回
【五輪出場】 2回
【アジア・カップ優勝】 3回
【過去の有名選手】 マジェド・アブドラー、オワイラン
【現在の監督】 マルコス・パケタ
【現在の有名選手】 アル・デアイエ、アル・ジャバー、アル・テミヤト
【FIFA略称】 KSA
【FIFA世界ランキング】 34位
1959年に協会を設立し、1980年代から力を付けてきたアラブ諸国中随一の強国であり、アジアでもトップクラスの地位を築いているといえる。2004年のアジア・カップでは振るわなかったが、1984年から2000年まで、何と5大会連続で決勝に進出し、3度の優勝を遂げている。
1980年代には“砂漠のペレ”の愛称で知られるアジェド・アブドラー、1990年代には1994年ワールドカップ米国大会で60mドリブルからのゴールをあげ話題をさらったオワイランや、“アジアの黒くも”と異名をとりアジア最高のGKともいわれたアリ・デアイエなどのスター選手を輩出している。
ちなみに、正式な国名は“サウジアラビア王国”で、アラビア語表記は“??????? ???????? ??????????”、ラテン語転写は“Al Mamlakah al Arabiyah as Sa'udiyah”、英語表記は“Kingdom of Saudi Arabia”となる。国名が“サウード家のアラブの王国”を意味することからも分かる通り、サウジアラビアはサウード家が統治する絶対君主制国家。また、原油埋蔵量、産出量、輸出量はいずれも世界一であり、西部にイスラム教の聖地メッカが位置することなどもよく知られている。
投稿者 lifestyle : 10:08 | コメント (0)
ルーマニア

《正式名称》 Romania
《ユニフォームカラー》 黄/黄/黄
【通称】 Romania
【首都】 ブカレスト![]()
【言語】 ルーマニア語
【国土】 237,500 km2![]()
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【人口】 2,227万人
【協会創立】 1909年
【FIFA加盟】 1923年
【W杯出場】 7回
【五輪出場】 3回
【欧州選手権出場】 3回
【過去の有名選手】 ベレニ、ベロデディッチ、ハジ、ゲオルゲ・ポペスク、ペトレスク
【現在の監督】 ビクトル・ピトゥルカ
【現在の有名選手】 イリエ、キブ、ムトゥ
【FIFA略称】 ROU
【FIFA世界ランキング】 26位
ウルグアイで開催された1930年の第1回ワールドカップから1934年、1938年と3大会続けて参加するも、第二次世界大戦後は長く低迷。しかし、1980年代の同国を代表するスター選手ベレニや18歳のハジ擁して決勝大会に初出場した1984年欧州選手権をきっかけに、クラブレベルでは1986年にステアウア・ブカレストが東欧のクラブ初となる欧州チャンピオンズ・カップ制覇するなどルーマニア・サッカーは勢いを増す。
1990年代に入ると1990、1994、1998年にワールドカップ本大会3回連続出場、1996、2000年に欧州選手権決勝大会2回連続出場を果たし、ハジを中心としたルーマニア代表は欧州サッカー界の表舞台で確固たる地位を築いていたといえる。ハジの他にはラドチョウ、ドミトレスクといった優れたアタッカー陣がいて、守備的なポジションにはペロデディッチ、ゲオルゲ・ポペスク、ペトレスクといった世界的なタレントを有した。21世紀に入りハジ世代が引退し、現在、若い世代に期待がかけられている。
投稿者 lifestyle : 09:47 | コメント (0)
パラグアイ

《正式名称》 Republica del Paraguay
《ユニフォームカラー》 赤・白/青/青
【通称】 Paraguay
【首都】 アスンシオン![]()
【言語】 スペイン語 , グアラニー語
【国土】 406,750 km2![]()
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【人口】 619万人
【協会創立】 1906年
【FIFA加盟】 1925年
【W杯出場】 6回
【五輪出場】 2回
【コパ・アメリカ優勝】 2回
【過去の有名選手】 エリコ、フリオ・セサル・ロメロ、アマリージャ、チラベルト、ベニテス
【現在の監督】 アニバル・ルイス (ウルグアイ)
【現在の有名選手】 ガマーラ、カルドーソ、サンタクルス
【FIFA略称】 PAR
【FIFA世界ランキング】 33位
ブラジル、アルゼンチン、ボリビアに囲まれた内陸に位置する国で、人口の9割以上がメスティーソ(スペイン系とインディオの混血)で占められている。
サッカーでは1953年にコパ・アメリカで優勝したとき以外は、長い間、南米の小国の地位に甘んじていた。しかし、マラドーナと同世代の天才MFフリオ・セサル・ロメロ(通称はロメリート)の出現で、1979年に再びコパ・アメリカを制覇し、1986年には28年ぶりとなるワールドカップ出場で初めてグループリーグ突破を果たす。
1990年代に入るとGKチラベルトを筆頭にガマーラ、アジャラ、アルセといった強力な守備陣が出現し、1998年、2002年と続けてワールドカップ本大会に出場。また、2004年アテネ五輪では決勝進出を遂げ、銀メダルを獲得している。
昨今のA代表は世代交代を進めている最中だが、五輪での成果はさぞ監督を喜ばせたに違いない。ガマーラやカルドーソを除くと、90年代を支えた選手たちの大半は、すでに代表チームを去っている。後は、サンタクルスらの飛躍と、アテネ五輪準優勝メンバーであるドス・サントスやバレットらの成長を待つのみだろう。
投稿者 lifestyle : 09:26 | コメント (0)
セネガル
《正式名称》 Republique du Senegal
《ユニフォームカラー》 白/緑
【通称】 Senegal
【首都】 ダカール
【言語】 フランス語
【国土】 196,190 km2
【人口】 1,058万人
【W杯出場回数】 1回
【五輪出場回数】 0回
【アフリカネーションズカップ優勝】 0回
【過去の有名選手】-
【現在の監督】 アブドライェ・サール
【現在の有名選手】 ディウフ、ディオップ、ファティガ
【FIFA略称】 SEN
【FIFA世界ランキング】 30位
元々フランス領で、現在でもフランスとの繋がりは深い。最近は多くの選手が若い頃からフランス・リーグでプレーするようになった。フランス代表の中核であるビエラはセネガル出身だがフランスに帰化している。
長い間、ワールドカップでも五輪でも本大会出場経験はなく、アフリカネイションズカップでも1990年の4位が最高という弱小国だった。しかし、「白い魔術師」ブルーノ・メツ監督の下、日韓ワールドカップ予選を突破し、2002年にアフリカネイションズカップで準優勝、同年ワールドカップ本大会で初出場ながらベスト8進出という快挙を達成した。
ワールドカップ開幕戦、素晴しい内容でディフェンディング・チャンピオンのフランスを破るなどのセンセーショナルな活躍は記憶に新しい。エースのディウフは、2001、2002年と続けてアフリカ年間最優秀選手に選ばれている。
投稿者 lifestyle : 09:05 | コメント (0)
ロシア

《正式名称》 Российская Федерация
《ユニフォームカラー》 白/白/白
【通称】 Russia
【首都】 モスクワ![]()
【言語】 ロシア語
【国土】 17,075,200 km2![]()
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【人口】 1億4,453万人
【協会創立】 1912年
【FIFA加盟】 1912年 , 1992年
【W杯出場】 ロシア:2回、ソ連:7回
【五輪出場】 ロシア:0回、ソ連:7回 (優勝2回=1956、1988)
【欧州選手権出場】 ロシア:2回、CIS:1回、ソ連:5回 (優勝1回=1960)
【過去の有名選手】 ヤシン、ネットー、イバノフ、ダサエフ、サレンコ
【現在の監督】 -
【現在の有名選手】 モストボイ、カルピン、ティトフ
【FIFA略称】 RUS
【FIFA世界ランキング】 35位
1912年にサッカー協会設立、第一次世界大戦後「ソ連」になり、1990年代に入ると1992年に「CIS」として1回だけ欧州選手権決勝大会に出場したが、それ以降は「ソ連」協会を引き継ぎ「ロシア」として各大会へ参加している。
ソ連時代には、欧州選手権で1960、1964、1972、1988年と4度決勝へ進出し優勝1回、五輪では1956、1988年と2回の優勝経験があるが、ワールドカップでは1966年の4位が最高位となっている。
当然ながら、ソ連時代の代表チームにはロシア地域だけでなく、ウクライナなどの出身選手も多く含まれていた。なお、FIFAの判断では今のロシアが旧ソ連の延長として捉えられている。
現在、ロシア代表は世代交代の時期に入っているといえ、2006年ワールドカップ本大会に出場できるかは微妙な状況であろう。イズマイロフら優れた若手も出てきてはいるが、モストボイ、カルピン、オノプコなどの穴はなかなか埋められそうにない。
ちなみに、上の国名表記はロシア語のもの。ラテン文字へ転写すると“Rossiyskaya Federatsiya”になる。英語では“Russian Federation”となり、正式な日本語訳は“ロシア連邦”。
投稿者 lifestyle : 08:46 | コメント (0)
モロッコ
《正式名称》 Al Mamlakah al Maghribiyah
《ユニフォームカラー》 緑/赤
【通称】 Morocco
【首都】 ラバト
【言語】 アラビア語
【国土】 446,550 km2
【人口】 3,169万人
【W杯出場回数】 4回
【五輪出場回数】 5回
【アフリカネーションズカップ優勝】 1回
【過去の有名選手】 アメード・ファラス、ザキ・バドゥー、モハメド・ティムミ
【現在の監督】 モハメド・ファキル
【現在の有名選手】 ナイベト、ハッジ、バシール
【FIFA略称】 MAR
【FIFA世界ランキング】 35位
アフリカを代表する強豪国の一つ。過去4度ワールドカップ本大会に出場し、1986年メキシコ大会ではアフリカ勢で初となる決勝トーナメント進出も果たしている。1986年ワールドカップ・メキシコ大会で活躍したGKザキやMFティムミ、1998年ワールドカップ・フランス大会で脚光を浴びたハッジ、スペインのデポルティーボで長く最終ラインを支えたナイベトなどの有名選手がいる。
ちなみに、国土は、アフリカといっても海を挟んだスペインのすぐ向かい側で、アフリカ連盟未加盟国であり、人種もアラブ人や北アフリカの民族であるベルベル人の混血がほとんど。モロッコ最大の都市であり、映画でも有名な港町「カサ・ブランカ」は、スペイン語で「白い家」を意味する。
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ノルウェー

《正式名称》 Kongeriket Norge ( Kongeriket Noreg )
《ユニフォームカラー》 赤/白/青
【通称】 Norway
【首都】 オスロ![]()
【言語】 ノルウェー語
【国土】 324,220 km2![]()
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【人口】 455万人
【協会創立】 1902年
【FIFA加盟】 1908年
【W杯出場】 3回
【五輪出場】 5回
【欧州選手権出場】 1回
【過去の有名選手】 ブラツェット、ロニー・ヨンセン、レオナルドセン
【現在の監督】 オーゲ・ハレイデ
【現在の有名選手】 カリュー、スールシャール、リーセ
【FIFA略称】 NOR
【FIFA世界ランキング】 39位
北欧の中堅国。ヨーロッパ全体ではそれほど目立った活躍をしたことはなく、スウェーデンやデンマークに遅れをとっている。1980年代までは完全に弱小国扱いであったが、1994年、1998年と続けてワールドカップ本大会に出場を果たし、現在では多くの代表選手をイングランドなどの国外リーグへ送り出している。いかにも北欧らしく、190cm前後の長身選手を数多く揃えているというのが特徴だろう。
かつてスペインのバレンシア、現在、フランスのリヨンで活躍しているヨン・カリューや、イングランドのリバプールに所属するリーセ、元チェルシーのFWトーレ・アンドレ・フローらはよく知られている。また、1990年代のマンチェスター・ユナイテッドでは、近年怪我に悩まされているが長く籍を置いているスールシャールを筆頭に、ヨンセン、ベルグといったノルウェー代表選手がプレーしていた。
ちなみに、ノルウェー語の種類にはブークモール、ニーノシュクの2つがあり、共に公用語として認められている。上に示した国名の正式名称は左がブークモールの表記で、右の()内がニーノシュクの表記。公文書などでは両言語が示されるが、一般的に多く使われているのは、ややデンマーク語に近いブークモールのほうであるとのこと。
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2005年08月06日
チュニジア
《正式名称》 Al Jumhuriyah at Tunisiyah
《ユニフォームカラー》 白/赤
【通称】 Tunisia
【首都】 チュニス
【言語】 アラビア語
【国土】 163,610 km2
【人口】 992万人
【W杯出場回数】 4回
【五輪出場回数】 4回
【アフリカネーションズカップ優勝】 1回
【過去の有名選手】 タレク・ディアブ
【現在の監督】 ロジェ・ルメール (フランス)
【現在の有名選手】 ブアジジ、ジャイディ、ハテン・トラベルシ
【FIFA略称】 TUN
【FIFA世界ランキング】 28位
地中海に面する北アフリカの小国。国民の大半はアラブ人だが、1956年の独立以前にはフランス保護下にあったため、フランス語も普及している。サッカーにおいては、1978年W杯でアフリカ諸国初となる本大会での1勝を挙げた国として知られる。当時は1枠だったアフリカ大陸のW杯出場権を獲得すると、本大会でも素晴らしいパフォーマンスを披露した。ラトー、ボニエクらがいたポーランドや、ルンメニゲ、フォクツらを擁する西ドイツと1次リーグで同組になり、決勝トーナメント進出はならなかったが、1勝1分1敗という好成績を残し、鮮烈なインパクトを与えている。
早くからW杯本大会で結果を出したチュニジアだが、その後は続かず、また、長くアフリカ選手権で優勝できなかったこともあり低迷が叫ばれた。しかし、1990年代後半には持ち直し、現在も好調を維持している。1996年のアトランタ五輪出場権を獲得すると、同年のアフリカ選手権では決勝進出。そして1978年以来となる20年ぶりのW杯出場を1998年フランス大会で果たすと、2002年コリア・ジャパン大会では2大会連続出場を遂げている。2004年のアテネ五輪で再び出場権を獲得すると、この年は自国開催のアフリカ選手権で念願の優勝も果たした。有名選手の少なさや、久しく本大会で目立った成績を挙げていないことからか、あまり話題に上ることは多くないが、近年のアフリカで最も安定感のある国の一つといえよう。
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ブルガリア

《正式名称》 Република България
《ユニフォームカラー》 白/緑/白
【通称】 Bulgaria
【首都】 ソフィア![]()
【言語】 ブルガリア語
【国土】 110,910 km2![]()
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【人口】 754万人
【協会創立】 1923年
【FIFA加盟】 1924年
【W杯出場】 10回
【五輪出場】 5回
【欧州選手権出場】 2回
【過去の有名選手】 アスパルホフ、ボネフ、バラコフ、ストイチコフ、レチコフ
【現在の監督】 フリスト・ストイチコフ
【現在の有名選手】 ベルバトフ、マルティン・ペトロフ、スティリアン・ペトロフ
【FIFA略称】 BUL
【FIFA世界ランキング】 39位
1968年のメキシコ五輪で準優勝した以外に目立った実績はなく、1934年から1986年までワールドカップ本大会に8度出場しながら1勝もできなかった東欧の中堅国。しかし、1994年、その年の欧州年間最優秀選手に輝いたストイチコフを筆頭に優れたタレントを多く揃えたブルガリア史上最高のチームは、アメリカ大会で、ワールドカップ初勝利を挙げるだけでなく、ベスト4進出を達成するというセンセーションを巻き起こした。
英雄ストイチコフのほかにも、中盤のバラコフやレチコフ、前線のコスタディノフらは有名である。彼ら以外にも、最終ラインのイワノフやGKのミハイロフなど、国外リーグでプレーするハイレベルな選手たちを多く抱えていた。
近年は世代交代を終え、ベルバトフやマルティン・ペトロフなどの新しいスター選手を生み出している。さきの2004年欧州選手権では予選を突破し本大会に出場した。現在、国の英雄的存在であるストイチコフが今度は監督に挑戦しているが、2006年ドイツW杯の欧州予選では苦戦しているようだ。
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南アフリカ
《正式名称》 Republic of South Africa ( Republiek van Suid-Afrika )
《ユニフォームカラー》 緑/黄
【通称】 South Africa
【首都】 プレトリア
【言語】 アフリカーンス語、英語
【国土】 1,219,912 km2
【人口】 4,277万人
【W杯出場回数】 2回
【五輪出場回数】 1回
【アフリカネーションズカップ優勝】 1回
【過去の有名選手】 ラデベ、マシンガ、クマロ
【現在の監督】 テッド・ドゥミテル
【現在の有名選手】 マッカーシー、フォーチュン、ピーナール
【FIFA略称】 RSA
【FIFA世界ランキング】 48位
1892年に協会を設立するもアパルトヘイトで長く国際舞台から遠ざかっていた。アパルトヘイト廃止後、1992年にFIFAへ復帰したアフリカでもトップクラスの実力を持つ国。1994年ワールドカップの予選ではナイジェリアと同組に入ったこともあり本戦出場を逃したが、1996年にはアフリカ選手権を自国で開催し見事に優勝を果たす。そして1998年、アフリカ選手権で準優勝すると共に、ワールドカップ本大会にも初出場している。2002年のワールドカップ日韓大会では初勝利を挙げていて、また、2010年にはアフリカ大陸初となるワールドカップ開催も決めている。
ちなみに、南アフリカ共和国には合計11の公用語があるが、代表的なものはアフリカーンス語と英語の2つ。上の正式名称は英語と、()内がアフリカーンス語のものになっている。
投稿者 lifestyle : 15:22 | コメント (0)
エクアドル

《正式名称》 Republica del Ecuador
《ユニフォームカラー》 黄/青/赤
【通称】 Ecuador
【首都】 キト![]()
【言語】 スペイン語
【国土】 283,560 km2![]()
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【人口】 1,370万人
【協会創立】 1925年
【FIFA加盟】 1926年
【W杯出場】 1回
【五輪出場】 0回
【コパ・アメリカ優勝】 0回
【過去の有名選手】 アルベルト・スペンサー
【現在の監督】 ルイス・フェルナンド・スアレス
【現在の有名選手】 アギナガ、デ・ラ・クルス、デルガド
【FIFA略称】 ECU
【FIFA世界ランキング】 38位
スペイン語で“赤道”を意味する“エクアドル”という言葉の通り、赤道直下に位置する南米の小国。赤道直下といっても、首都であるキトはアンデス山脈の中腹で、海抜2,850mの高地。よって南米予選では常に大きなホーム・アドバンテージを得ている。
長い間、ベネズエラと共に2つだけワールドカップ本大会へ出場したことのない南米大陸連盟所属国だったが、前回の2002年コリアジャパン大会で念願の初出場を遂げ、その不名誉な地位からは脱した。それどころか、2006年ドイツ大会の予選でも好調で、現在、アルゼンチン、ブラジルの二大大国に次ぐ3位の座をキープしている。地の利があるとはいえ、強国揃いの南米で上位で入るのは至難の技であり、これは素直に評価されてしかるべきだろう。
近年までナショナルチームとしての実績は皆無だったエクアドルであるが、1960年代に南米を代表する名FWアルベルト・スペンサーを輩出したことではよく知られていた。抜群の身体能力と得点感覚を備えたエクアドル史上最高のストライカーは、ウルグアイの名門ぺニャロールに在籍し、国内リーグ、リベルタドーレス杯、インターコンチネンタル杯などでチームに多くのタイトルをもたらした。その活躍ぶりは凄まじく、ウルグアイ・サッカー協会は彼をウルグアイ代表へ引き抜こうとして、実際、親善試合にも招集したというエピソードが残っているほどである。
昨今のエクアドル代表では、天才肌のゲームメイカーであるアレックス・アギナガ、長身FWのアグスティン・デルガード、攻撃力を武器とするSBのデ・ラ・クルス、守備の要ウルタードらが有名。とりわけアギナガは人気面でも実力面でもスペンサー以降の同国ベストプレイヤーに位置付けられる。
なお、エクアドルの人種構成は、メスティーソ(ヨーロッパ系白人とインディオの混血)が約55%、インディオ(先住民)が約25%、白人と黒人がそれぞれ約10%。よってナショナルチームも様々な人種から形成されている。
ちなみに、多くの自然美が溢れていることで知られる太平洋のガラパゴス諸島はエクアドル領。また、かつてインカ帝国第二の都市として栄えていたキトの町並みには、現在、歴史的価値が見出されている。いずれも世界遺産に登録されていて、世界でも指折りの観光地だといえるだろう。
投稿者 lifestyle : 15:08 | コメント (0)
コートジボワール
《正式名称》 Republique de Cote d'Ivoire
《ユニフォームカラー》 黄/緑/白
【通称】 Cote d'Ivoire
【首都】 ヤムスクロ
【言語】 フランス語
【国土】 322,460 km2
【人口】 1,696万人
【W杯出場回数】 0回
【五輪出場回数】 0回
【アフリカネーションズカップ優勝】 1回
【過去の有名選手】 フォファナ
【現在の監督】 アンリ・ミシェル(フランス)
【現在の有名選手】 ドログバ、トゥーレ、バカヨコ
【FIFA略称】 CIV
【FIFA世界ランキング】 41位
コートジボワールという国名の意味は“象牙海岸”、よって“エレファンツ(象)”とニックネームされる代表チームだが、ワールドカップにおいても五輪においても本大会に姿を見せたことがない。しかし、国内リーグは盛んであり、クラブレベルではアフリカ大陸の各カップ戦で好成績を残していて、近年では代表レベルでも1992年にアフリカ選手権優勝を果たしている。
現在、チェルシーのFWドログバ、アーセナルのDFトゥーレなどの優れたタレントが現れたこともあり、フランス人監督アンリ・ミシェルの下、2006年ワールドカップ・ドイツ大会の予選で好調を維持している。とりわけキャプテンを務めるドログバは、どこの国にとっても脅威となるであろう。
投稿者 lifestyle : 14:42 | コメント (0)
イラク
《正式名称》 Al Jumhuriyah al Iraqiyah
《ユニフォームカラー》 緑
【通称】 Iraq
【首都】 バグダッド
【言語】 アラビア語、クルド語
【国土】 437,072 km2
【人口】 2,468万人
【W杯出場回数】 1回
【五輪出場回数】 4回
【アジア・カップ優勝】 0回
【過去の有名選手】
【現在の監督】
【現在の有名選手】
【FIFA略称】 IRQ
【FIFA世界ランキング】 74位
※新規追加
投稿者 lifestyle : 14:27 | コメント (0)
ベルギー

《正式名称》 Koninkrijk Belgie ( Royaume de Belgique )
《ユニフォームカラー》 赤/黒/黄
【通称】 Belgium
【首都】 ブリュッセル![]()
【言語】 オランダ語、フランス語、ドイツ語
【国土】 30,510 km2![]()
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【人口】 1,029万人
【協会創立】 1895年
【FIFA加盟】 1904年
【W杯出場】 11回
【五輪出場】 3回 (優勝1回=1920)
【欧州選手権出場】 4回
【過去の有名選手】 パフ、ゲレツ、クーレマンス、プロドーム、シーフォ
【現在の監督】 レネ・バンデレイケン
【現在の有名選手】 エミール・ムペンザ、ブッフェル、コンパニ
【FIFA略称】 BEL
【FIFA世界ランキング】 50位
1920年アントワープ五輪での優勝以外にビッグタイトルはないが、FIFAのオリジナル・メンバーにしてワールドカップ本大会11回出場、サッカー協会創立1895年という欧州有数の古豪。1970年代まで国内リーグがプロ化していなかったこともあり、「赤い悪魔」の異名を持つベルギー代表はなかなか大きな成功を収められずにいた。
しかし、プロ化した1972年に欧州選手権で3位となり、1980年欧州選手権で西ドイツに次ぐ準優勝、ワールドカップでは1986年にベスト4を達成しただけでなく、1982年スペイン大会を皮切りに5大会連続で本大会へ出場し、欧州での確固たる地位を築いた。
1970年代のクリスチャン・ピオ、1980年代のジャン・マリー・パフ、1990年代のミシェル・プロドームといったように、優秀なGKを生むことで知られている。昨今のベルギー代表では、2002年W杯コリア・ジャパン大会でも活躍していたベテランFWヴィルモッツが最大のスター選手であろう。
歴史的に見ると、近年の低迷は気になるところである。2006年W杯ドイツ大会の欧州予選では組み分けに恵まれず、強豪スペイン、好調セルビア・モンテネグロ、伏兵ボスニア・ヘルツェゴビナといった面々と同グループに入り苦戦を強いられている。
ちなみに、欧州連合(EU)の本部が置かれている首都ブリュッセルや銘菓のワッフルで知られるベルギーは3つの公用語を持つ連邦制国家としても有名。正式な国名表記は上に示した左側のオランダ語、右側の()内のフランス語に加え、ドイツ語のもの(「Konigreich Belgien」)もある。
狭い国土のわりに連邦制を採用し多くの公用語を持っている理由は、主にオランダ語とフランス語の間で言語戦争があるからだとのこと。よって、サッカーにおいても、協会名などは多言語で表記されている。
投稿者 lifestyle : 14:00 | コメント (0)
セルビア・モンテネグロ

《正式名称》 Срби?а и Црна Гора
《ユニフォームカラー》 青/白/赤
【通称】 Serbia and Montenegro
【首都】 ベオグラード![]()
【言語】 セルビア語
【国土】 102,350 km2![]()
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【人口】 1,066万人
【協会創立】 1919年
【FIFA加盟】 1919年
【W杯出場】 セルビア・モンテネグロ:0回、ユーゴスラビア:9回
【五輪出場】 セルビア・モンテネグロ:1回、ユーゴスラビア:11回 (優勝1回=1960)
【欧州選手権出場】 セルビア・モンテネグロ:0回、ユーゴスラビア:6回
【過去の有名選手】 チャイコフスキー、ジャイッチ、ストイコビッチ、サビチェビッチ、ミヤトビッチ
【現在の監督】 イリヤ・ぺトコビッチ
【現在の有名選手】 ミハイロビッチ、デヤン・スタンコビッチ、ケズマン
【FIFA略称】 SCG
【FIFA世界ランキング】 46位
個人技術に秀でた選手を多く生み出すことで知られる「東欧のブラジル」。気性の荒い天才肌のプレイヤーが目立つのも特徴だろう。Jリーグの名古屋グランパスでもプレーしていた“ピクシー(妖精)”ことストイコビッチ(現ユーゴスラビアサッカー協会会長)はその典型だといえる。
1918年にセルビア・クロアチア・スロベニア王国として成立、翌年にサッカー協会が設立される。1929年からユーゴスラビア王国になり、1945年からは共和制、しかし1991年にユーゴスラビア紛争が勃発しユーゴスラビアは、ユーゴスラビア(セルビアとモンテネグロ)、スロベニア、クロアチア、マケドニア、ボスニア・ヘルツェゴビナに解体。その後、2003年にユーゴスラビアがセルビア・モンテネグロに改名し現在に至る。
1991年内戦前のユーゴスラビアは、ワールドカップ本大会8回出場、五輪は優勝1回と準優勝2回、欧州選手権でも準優勝2回という強豪国だが、内戦・分離後のユーゴスラビア(現セルビア・モンテネグロ)は世代交代が遅れていて、近年は苦しんでいるといえよう。しかし、今予選では守備組織の立て直しに成功し、スペイン、ベルギーといったW杯本大会の常連国を相手に好調を維持している。
ちなみに、代表チームの愛称はセルビア語で“青”を意味する“プラーヴィ”。フランスやイタリアなどと同様、ホームユニフォームのメインカラーに由来している。
投稿者 lifestyle : 13:47 | コメント (0)
バーレーン
《正式名称》 Dawlat al Bahrayn
《ユニフォームカラー》 白/赤
【通称】 Bahrain
【首都】 マナーマ
【言語】 アラビア語
【国土】 665 km2
【人口】 67万人
【W杯出場回数】 0回
【五輪出場回数】 0回
【アジア・カップ優勝】 0回
【過去の有名選手】 -
【現在の監督】 ウォルフガング・ジドカ (ドイツ)
【現在の有名選手】 サルミーン
【FIFA略称】 BHR
【FIFA世界ランキング】 53位
※新規追加
投稿者 lifestyle : 13:28 | コメント (0)
スイス

《正式名称》 Confoederatio Helvetica
《ユニフォームカラー》 赤/白/赤
【通称】 Switzerland
【首都】 ベルン![]()
【言語】 ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語
【国土】 41,290 km2![]()
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【人口】 732万人
【協会創立】 1895年
【FIFA加盟】 1904年
【W杯出場】 7回
【五輪出場】 2回
【欧州選手権出場】 2回
【過去の有名選手】 キエルホルツ、アベグレン
【現在の監督】 ヤコブ・コビ・クーン
【現在の有名選手】 シャプイザ、スフォルツァ、フレイ
【FIFA略称】 SUI
【FIFA世界ランキング】 35位
いわずと知れた永世中立国、スイス連邦。“ヨーロッパの屋根”と呼ばれるアルプス山脈やジュラ山脈が国土の約70%を占め、いくつもの美しい湖や河川を有している。中央ヨーロッパの小さな国だが、観光のほかにも、精密機械(時計)、金融(銀行)、また、多くの国際機関の本部が置かれていることでも有名である。
サッカーにおいてもFIFA、UEFAの本部があり、世界のサッカーの中心地的な役割を担っているが、代表、クラブ共に国際的なタイトルを手にしたことはない。1960年代くらいまではコンスタントに大舞台へ顔を出していたが、それ以降は長く冬の時代に入ることとなる。1990年代に入ると、格闘技のアンディ・フグ、テニスのヒンギスと並ぶスイスの国民的な英雄となったシャプイザを筆頭に才能豊かな選手が登場し、1994年アメリカ大会でイングランド人ロイ・ホジソンに率いられたスイス代表は28年ぶりとなるワールドカップ本大会出場を果たした。
近年はトルコ系移民のヤキン兄弟を中心に2004年欧州選手権で本大会まで進んでいる。2002年にU-17欧州選手権で優勝したスイス代表の中心選手であるセンデロス(アーセナル/イングランド)はスペイン人の父親とセルビア・モンテネグロ人の母親を持ち、さきの欧州選手権で最年少得点記録を塗り替えたフォンランテン(PSV/オランダ)はコロンビア生まれ。そのフォンランテンと並ぶ若手のホープ的存在であるベーラミ(ラツィオ/イタリア)はコソボ共和国出身。
このように、一見、昨今のスイス代表は多人種化が目立つ傾向にあるが、そもそもスイスは多民族国家である。実際は約60%以上の人々がスイス訛りのドイツ語を話し、英語の普及率も非常に高いが、公用語にはドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語と、4つもの言語が定められている。上記の《正式名称》は、それらを代表して使用されるラテン語のもの。
スイスという国は、ドイツ語を話す北部・中部のスイス人、フランス語を話す西部のスイス人、イタリア語を話す南部のスイス人、ロマンシュ語を話す南東部のスイス人、さらには全人口の2割にも上る外国人を抱える、まさに“連邦”だといえよう。
投稿者 lifestyle : 13:04 | コメント (0)
中国
《正式名称》 Zhonghua Renmin Gongheguo
《ユニフォームカラー》 白/赤
【通称】 People's Republic of China ( China PR )
【首都】 北京
【言語】 中国語
【国土】 9,596,960 km2
【人口】 12億8,698万人
【W杯出場回数】 1回
【五輪出場回数】 3回
【アジア・カップ優勝】 0回
【過去の有名選手】 -
【現在の監督】 アリ・ハーン
【現在の有名選手】 リ・ティエ、スン・ジハイ
【FIFA略称】 CHN
【FIFA世界ランキング】 69位
※新規追加
投稿者 lifestyle : 12:40 | コメント (0)
ウクライナ

《正式名称》 Укра?на
《ユニフォームカラー》 黄・青/黄・青/黄・青
【通称】 Ukraine
【首都】 キエフ![]()
【言語】 ウクライナ語
【国土】 603,700 km2![]()
【人口】 4,806万人
【協会創立】 1991年
【FIFA加盟】 1992年
【W杯出場】 ウクライナ:0回、ソ連:7回
【五輪出場】 ウクライナ:0回、ソ連:7回 (優勝2回=1956、1988)
【欧州選手権出場】 ウクライナ0回、ソ連:5回 (優勝1回=1960)
【過去の有名選手】 ブロヒン、ベラノフ、ミハイリチェンコ
【現在の監督】 オレグ・ブロヒン
【現在の有名選手】 シェフチェンコ、レブロフ、ボロニン
【FIFA略称】 UKR
【FIFA世界ランキング】 42位
旧ソ連崩壊後に独立した国の中ではロシアに次ぐ大国で、人口約4,800万人、国土は日本の約1.6倍。独立後、約10年余りで、いまだ大きな国際舞台に登場したことはないが、1998年W杯フランス大会に始まり、2000年欧州選手権ベルギー・オランダ大会、2002年W杯コリア・ジャパン大会と立て続けにプレーオフ敗退の屈辱を味わった。
前回の2004年欧州選手権ポルトガル大会の予選では、不運にもギリシャやスペインと同組に入り、プレーオフ進出にも失敗している。しかし、2006年W杯の欧州予選では、すでに突破をほぼ確実にしていて、本大会で躍進が期待されるダークホースの一つといっていいだろう。
イタリアリーグで活躍するスター選手シェフチェンコ率いる小国というイメージが強い。とはいっても、長い歴史を紐解けば、ソ連として五輪や欧州選手権のタイトルを手にしているだけでなく、ソ連代表の有名選手のなかに多くのウクライナ出身選手がいたということを忘れてはいけないだろう。
現ウクライナ代表監督で、ソ連代表歴代最多得点記録を保持する“ウクライナの矢”ことオレグ・ブロヒン、1986年に欧州年間最優秀選手に輝いたイゴール・ベラノフ、1988年欧州選手権で決勝進出し同年のソウル五輪では優勝したソ連代表において中心的な役割を担ったアレクセイ・ミハイリチェンコ、彼らは揃ってウクライナ出身選手である。
クラブレベルにおいても、国内トップチームであるディナモ・キエフは、旧ソ連諸国だけでなく東欧を代表する名門として知られている。近年は、そのディナモ・キエフと優勝争いを繰り広げるシャフタール・ドネツクも力を付けてきていて、代表・クラブ共にウクライナ・サッカーの勢いを感じさせている。
ちなみに、FIFAの判断では現ロシアが旧ソ連を継ぐ国家として捉えられているわけだが、上では参考までにソ連時代の実績も表示した。
投稿者 lifestyle : 12:23 | コメント (0)
オーストラリア
《正式名称》 Commonwealth of Australia
《ユニフォームカラー》 黄/緑
【通称】 Australia
【首都】 キャンベラ
【言語】 英語
【国土】 7,686,850 km2
【人口】 1,973万人
【W杯出場回数】 1回
【五輪出場回数】 6回
【OFCネーションズカップ優勝】 4回
【過去の有名選手】 フランク・ファリーナ、ロバート・スレーター、アウレリオ・ビドマー、オコン、ボスニッチ
【現在の監督】 フース・ヒディング (オランダ)
【現在の有名選手】 ビドゥカ、キューウェル、カーヒル
【FIFA略称】 AUS
【FIFA世界ランキング】 49位
旧英国領だけあってオセアニアでは随一のサッカー人気国。しかし、実力が頭二つ飛び抜けているので、オセアニア地区予選での経験が全く世界レベルにおける強化に繋がらないのが難点だろう。また、世界のサッカーにおけるオセアニアの地位は低く、ワールドカップへも他地域とのプレーオフに勝ち抜かない限り参加できないという苦しい状況。
イングランドのプレミア・リーグで活躍するビドゥカやキューウェルといったスター選手が生まれたこともあり、近年、そのサッカー・レベルは上がっているが、1998年ワールドカップ予選ではプレーオフでイランに、2002年ワールドカップ予選ではウルグアイに、それぞれ敗退し本大会出場を逃している。若い世代においては、1988年から2004年まで5大会連続五輪本大会出場を果たし、1992年には準決勝進出も遂げている。
現代表は、多くの選手がイングランドのプレミア・リーグのクラブに所属していて、前述のビドゥカ(ミドルスブラ)、キューウェル(リバプール)以外にも、カーヒル(エバートン)、エマートン(ブラックバーン)らはよく知られている。また、さきの2005年FIFAコンフェデレーションズ杯で活躍したFWアロイージはスペインのアラベス、若手で期待のかかるブレシアーノはイタリアのパルマといったように、イングランド以外でプレーする選手も増え始めている。
本大会に進むには大陸間プレーオフで南米5位のチームを破らなければならないが、監督にオランダの名将フース・ヒディングを迎え、32年ぶりとなるW杯本大会出場を目指している。
投稿者 lifestyle : 12:04 | コメント (0)
トリニダード・トバゴ
《正式名称》 Republic of Trinidad and Tobago
《ユニフォームカラー》 赤/白
【通称】 Trinidad and Tobago
【首都】 ポート・オブ・スペイン
【言語】 英語
【国土】 5,128 km2
【人口】 110万人
【W杯出場回数】 0回
【五輪出場回数】 0回
【CONCACAFゴールドカップ優勝】 0回
【過去の有名選手】 -
【現在の監督】 レオ・ベーンハッカー (オランダ)
【現在の有名選手】 ドワイト・ヨーク、スターン・ジョン、シャカ・ヒスロップ
【FIFA略称】 TRI
【FIFA世界ランキング】 51位
※新規追加
カリブ海の南部に位置する小国で、その名の通り、トリニダード島とトバゴ島の2つからなる。国土の大半はトリニダード島であり、人口もそちらに集中している。“トリニダード”とはスペイン語でキリスト教の教義“三位一体”を意味し、これは島に3つの山があることから名付けられたという。一方、“トバゴ”とは先住民が吸っていた“タバコ”に由来している。両島合わせても、人口はやっと100万人を越える程度で、国土は日本の愛知県や千葉県のそれに満たない。どちらの意味でもワールドカップ出場国中で最小国ということになる。
文化的には様々なものが混じり合っていて、カリブを代表する独自の文化を形成している。首都ポート・オブ・スペインで開催されるカーニバルや、カリブ海周辺の大衆音楽カリプソなどは有名だろう。また、ドラム缶から作られた打楽器スティールパンはトリニダード・トバゴで発明されたもので、現在、正式に国民楽器として認められている。
人種構成も複雑で、トリニダード島にはアフリカ系、インド系を中心に、それらの混血や、少数だがヨーロッパ系や中国系もいる。トバゴ島はアフリカ系が多いようだ。1962年にイギリスから独立しているので公用語は英語だが、他にヒンドゥー語、フランス語、スペイン語、中国語なども使われて、宗教も多岐に渡る。
サッカーでは協会設立が1908年、FIFA加盟が1963年、W杯予選参加が1966年イングランド大会、という歴史を持つが、いかんせん国の規模からか、長い間、なかなか結果を出せずにきた。しかし、1990年代にドワイト・ヨークという世界的なスター選手が生まれ、2000年に開催されたCONCACAFゴールドカップでは同国初となる3位入賞を果たしている。
全盛期にマンチェスター・ユナイテッドで一時代を築いたヨークは現在34歳となりオーストラリアのシドニーFCに所属しているが、彼の他にもイングランドのクラブへ引き抜かれる選手が増えてきていて、代表チームの底上げが期待されている。まだまだその実力は北中米・カリブ海地区の2強であるメキシコ、米国、彼らに次ぐ3番手コスタリカにも及ばないというのが現状だが、長い年月を費やし小国が成し遂げたW杯本大会初出場という快挙は賞賛に値するだろう。
かつてスペインの名門レアル・マドリードなどを率いた経験を持つオランダ人監督ベーンハッカーの下、前述のヨークを中心に、イングランド2部のダービーに所属するFWスターン・ジョンらを擁するチームは、桧舞台への参加を今か今かと待ちきれずにいるに違いない。
投稿者 lifestyle : 11:44 | コメント (0)
ハンガリー

《正式名称》 Magyar Koztarsasag
《ユニフォームカラー》 赤/白/緑
【通称】 Hungary
【首都】 ブダペスト![]()
【言語】 ハンガリー語
【国土】 93,030 km2![]()
【人口】 1,005万人
【協会創立】 1901年
【FIFA加盟】 1907年
【W杯出場】 9回
【五輪出場】 9回 (優勝3回=1952、1964、1968)
【欧州選手権出場】 2回
【過去の有名選手】 シャローシ、プスカシュ、クバラ、コチシュ、フローリアン・アルベルト
【現在の監督】 ペーター・ボジク
【現在の有名選手】 イーレシュ、キラーイ、リステシュ
【FIFA略称】 HUN
【FIFA世界ランキング】 72位
1950年代に世界最強を誇った“マジック・マジャール”で知られる東欧屈指の古豪。プスカシュ、コチシュ、チボール、ヒデクチ、ボジク、グロシチらを擁した当時のハンガリー代表は、テクニカルかつ圧倒的なサッカーを展開し、1950年から1954年ワールドカップ決勝で西ドイツに敗れるまで、4年以上も無敗を続けていた伝説のチーム。今でも長いサッカー史の中で最も価値の高い選手の一人に数えられているプスカシュを筆頭に、トップクラスの名手を多く有していた。
彼らが世界を席巻する以前にも、1930年代のハンガリーはシャローシというスター選手を輩出している。また、1967年にフローリアン・アルベルトが欧州年間最優秀選手に輝くなど、マジック・マジャール以後も1960年代までは世界有数の強豪国であった。しかし、1970年代以降は徐々に失速していき、現在も低迷から抜け出せていない。
サッカー以外では、東洋と西洋が交錯する首都ブダペストとそこに流れるドナウ川、クラシック作曲家フランツ・リストなどが有名だろう。ちなみに、ハンガリー共和国の国民のうちの95%以上を占めるマジャル人は、人名を正式に表記した際に「姓」が「名」の前に付くヨーロッパで唯一の民族である。フランツ・リストは現地の言葉では「リスト・フェレンツ」となる。言語を見ると日本語に似ている部分も多いため、アジア系の起源を持つ民族だといわれることも多い。
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ペルー

《正式名称》 Republica del Peru
《ユニフォームカラー》 白・赤/白・赤/白・赤
【通称】 Peru
【首都】 リマ![]()
【言語】 スペイン語 , ケチュア語 , アイマラ語
【国土】 1,285,220 km2![]()
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【人口】 2,840万人
【協会創立】 1922年
【FIFA加盟】 1924年
【W杯出場】 4回
【五輪出場】 1回
【コパ・アメリカ優勝】 2回
【過去の有名選手】 エクトル・チュンピタス、テオフィロ・クビジャス
【現在の監督】 フレディ・テルネロ
【現在の有名選手】 パラシオス、ソラーノ、クラウディオ・ピサーロ
【FIFA略称】 PER
【FIFA世界ランキング】 66位
1930年ワールドカップ本大会に出場し、1939年に自国で開催したコパ・アメリカを制した以降は特筆すべき成功を収められずにいた南米の小国。しかし1970年代になり、同国を代表する二人の英雄、長くペルー代表最多出場記録を保持していたDFチュンピタスとペルー史上最高のプレイヤーといわれる天才MFクビジャスを擁した代表チームは、1970年ワールドカップ本大会に出場しグループリーグを突破すると、1975年に2度目のコパ・アメリカ優勝、1978年には再びワールドカップ本大会で2次リーグ進出、といったように輝かしい時期を迎えた。
これ以降は現在に至るまでまた低迷を続けているといえるだろう。ブラジル人をして「ペルー人は巧い」さらに「物凄く巧い」そして「しかし彼らはゴールの入れ方を知らない」といわれるように、彼らの技術は素晴しいのだが決定的な場面で勝負弱いのであろうか。
とはいえ近年も、前述のチュンピタスが築いた代表キャップ数の最多記録を更新することに成功した司令塔のロベルト・パラシオスや、イングランドリーグで活躍するサイドアタッカーのノルベルト・ソラーノなどの優れたテクニシャンを輩出している。
昨今のペルー代表は、ドイツの名門バイエルン・ミュンヘンに所属するピサーロとゲレーロ、オランダのPSVで存在感を放つファルファンら、次々と才能豊かなストライカーたちが出現し、強豪国の多い南米にあって今後の奮起が期待される国の一つ。とりわけクラウディオ・ピサーロは、ブンデス・リーガの巨漢DFにも当たり負けしない強靭なフィジカルと南米仕込みの細やかなテクニックを併せ持っており、現在、ペルー人で最も注目を集めているプレイヤーだといえるだろう。
ちなみに、日本では、南米初の日系大統領アルベルト・フジモリで有名なペルーだが、人種構成の概算はメスティーソ(白人とインディオの混血)が45%、インディオ(原住民)が37%、ヨーロッパ系白人15%、その他(アフリカ系やアジア系)3%となっていて、日系ペルー人も多く、その数は8万人に上るといわれている。
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ウェールズ

《正式名称》 Wales ( Cymru )
《ユニフォームカラー》 赤/赤/赤
【通称】 Wales
【首都】 カーディス![]()
【言語】 英語 , ウェールズ語
【国土】 20,578 km2![]()
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【人口】 310万人
【協会創立】 1876年
【FIFA加盟】 1910年
【W杯出場】 1回
【五輪出場】 0回
【欧州選手権出場】 0回
【過去の有名選手】 メレディス、ジョン・チャールズ、サウスオール、ラッシュ、マーク・ヒューズ
【現在の監督】 ジョン・トシャック
【現在の有名選手】 ギグス、サベージ、ベラミー
【FIFA略称】 WAL
【FIFA世界ランキング】 76位
マンチェスター・ユナイテッドの天才ドリブラー、ライアン・ギグスや、リバプールの伝説的なストライカー、イアン・ラッシュの母国で知られるウェールズだが、実際は英国内の一地域に過ぎず、イングランドやスコットランドに比べると国内リーグのレベルも非常に低い。
ウェールズでは、トップクラスの選手たちがイングランドリーグでプレーするだけでなく、カーディフ・シティなどの強豪クラブまでもがイングランドリーグへ参加してしまっている。よって国内リーグがあまり盛り上がらないというのも必然だろう。
もちろんサッカーは盛んだが国技はラグビーで、ウェールズ代表のワールドカップ本大会出場回数はイングランドやスコットランドは言うに及ばず、北アイルランドの3回よりも少ない僅か1回だけ。
現在はギグスだけでなく、ベラミー、サベージ、ギャリー・スピード、サイモン・デイビス、ポール・ジョーンズなど多くの選手がイングランドのトップリーグでプレーしているが、レベルの高い欧州予選(W杯)では今回も苦しんでいる。
1980年代から90年代にかけてウェールズ代表有数の名手として君臨した“スパーキー”ことマーク・ヒューズが監督を務めていたが、予選の途中に辞任してしまったため、今度は1970年代に選手として活躍し、監督としてのキャリアも長いジョン・トシャックが招聘された。個性的な新監督の下、強豪イングランドや好調ポーランド相手にどこまで立ち向かえるか注目である。
※画像は英国全土の地図。
※《正式名称》は左が英語、右の()内がウェールズ語。
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アンゴラ
《正式名称》 Republica de Angola
《ユニフォームカラー》 赤/黒
【通称】 Angola
【首都】 ルアンダ
【言語】 ポルトガル語
【国土】 1,246,700 km2
【人口】 1,077万人
【W杯出場回数】 0回
【五輪出場回数】 0回
【アフリカネーションズカップ優勝】 0回
【過去の有名選手】 -
【現在の監督】 ルイス・オリベイラ・ゴンサルベス
【現在の有名選手】 アクワ、マントラス、メンドンカ
【FIFA略称】 ANG
【FIFA世界ランキング】 62位
※新規追加
1975年にポルトガルから独立したアフリカ南西部に位置する国。西側が大西洋に面していて、そこにある首都のルアンダは300万人の人口を有し主要港として栄えている。1979年にサッカー協会を設立し、1980年にFIFAへ加入したばかりで、サッカーの面では全くといっていいほど実績はない。今まで際立った有名選手の輩出もなく、当然、W杯や五輪で本大会への出場も果たしていなかった。
アフリカ大陸内でも目立った存在になることはなく、アフリカネーションズカップでも、本大会出場は1996年、1998年の2回にとどまっている。しかし、2006年W杯ドイツ大会ではアフリカ大陸の最終予選にあたる2次予選へ進出すると、周囲の予想を覆し好発進を見せた。相手はアフリカ随一の強国ナイジェリアやW杯本大会進出2回を誇るアルジェリアらであったが、組織力と守備力を武器に勝ち点を積み重ねることに成功する。そして見事に本大会初出場を決めてしまったのだった。
最終的にナイジェリアとは勝ち点で並んだが、直接対決の戦績で勝り、出場権を手にしている。主要選手としてはエースのFWアクワや、ポルトガルでプレーするMFメンドーサらが挙げられるが、いずれもアフリカを代表するクラスのスター選手であるとは言い難く、未知数な部分が多いというのがこの国の最大の特徴だろう。
投稿者 lifestyle : 10:25 | コメント (0)
チリ

《正式名称》 Republica de Chile
《ユニフォームカラー》 赤/青/白
【通称】 Chile
【首都】 サンティアゴ![]()
【言語】 スペイン語
【国土】 756,950 km2![]()
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【人口】 1,560万人
【協会創立】 1895年
【FIFA加盟】 1913年
【W杯出場】 7回
【五輪出場】 4回
【コパ・アメリカ優勝】 0回
【過去の有名選手】 レオネル・サンチェス、エリアス・フィゲロア、イバン・サモラノ
【現在の監督】 ネルソン・アコスタ (ウルグアイ)
【現在の有名選手】 マルセロ・サラス、クラレンス・アクーニャ、ダビド・ピサロ
【FIFA略称】 CHI
【FIFA世界ランキング】 67位
1895年にサッカー協会を設立しワールドカップ本大会にも7回出場している“南米の古豪”といいたいところだが、取り立てて古豪と呼べるほどの実績はないだろう。1962年自国開催ワールドカップでは3位入賞を果たしたが、コパ・アメリカでは2度の決勝進出があるだけで、いまだに優勝した経験はない。
チリサッカー史におけるスター選手としては、1962年ワールドカップで4得点を挙げ得点王になった左ウィングのレオネル・サンチェス、1970年代に3年連続で南米年間最優秀選手に輝いた名DFエリアス・フィゲロア、1970年代から80年代にかけて同国の名門コロコロで活躍した点取り屋カルロス・カズリらがいる。
近年では1998年ワールドカップでブレイクした“サ・サ・コンビ”ことサモラノとサラスのツー・トップが有名だろう。そのサモラノがオーバーエイジ枠で出場した2000年のシドニー五輪では、あらゆる競技において同国初メダルとなる銅メダルを獲得している。
ちなみに、チリは南米随一の工業国であり、銅の生産量においては世界一を誇る。また、太平洋にはモアイ像で有名なイースター島、北部には世界で最も乾燥しているといわれるアタカマ砂漠があり、また、中央部にはワインの生産で知られる温暖地帯、南部にはツンドラ気候の寒冷地帯が広がるなど、その国土の細長さからか、非常に多彩な顔を持つ国となっている。
人種構成は、メスティーソ(ヨーロッパ系白人と原住民インディオの混血)が65%、ヨーロッパ系の白人が30%で、これらがほぼ全てを占めていることになり、黒人系は極めて少ない。残りの5%は各奥地に点在してる原住民の割合だが、いずれにしても国民の大半はヨーロッパ系の血を引いているということになる。
投稿者 lifestyle : 10:05 | コメント (0)
ガーナ
《正式名称》 Republic of Ghana
《ユニフォームカラー》 黄
【通称】 Ghana
【首都】 アクラ
【言語】 英語
【国土】 239,460 km2
【人口】 2,047万人
【W杯出場回数】 0回
【五輪出場回数】 6回
【アフリカネーションズカップ優勝】 4回
【過去の有名選手】 アベディ・ペレ、アンソニー・イエボア
【現在の監督】 ラトミール・ドゥイコビッチ (セルビア・モンテネグロ)
【現在の有名選手】 クフォー、エシエン、アッピアー
【FIFA略称】 GHA
【FIFA世界ランキング】 50位
まだワールドカップ本大会に出場したことがなく、昨今は1996年五輪優勝のナイジェリア、2000年五輪優勝のカメルーン、2002年ワールドカップでベスト8進出を果たしたセネガルなどの陰に隠れている感もあるが、本来、アフリカを代表する強国の一つであるといって良い。アフリカ選手権では、1963、1965、1978、1982年に優勝、1968、1970、1992年に準優勝と、コンスタントに素晴しい結果を残している。また、1990年代前半には、U-17選手権で1991年に優勝、1993年に準優勝、U-20ワールドユースで1993年に準優勝、1992年にはバルセロナ五輪で銅メダルを獲得するなど、若い世代の台頭が目立った。
現在、ドイツのバイエルン・ミュンヘンで長くプレーしていたクフォーや、フランスのリヨンで活躍し破格の移籍金でイングランドのチェルシーに渡ったエシエンといったタレントを有し、同国初となるワールドカップ本大会出場を目指している。
投稿者 lifestyle : 09:40 | コメント (0)
オーストリア

《正式名称》 Republik Osterreich
《ユニフォームカラー》 赤/白/赤
【通称】 Austria
【首都】 ウィーン![]()
【言語】 ドイツ語
【国土】 83,858 km2
【人口】 819万人
【協会設立】 1904年
【FIFA加盟】 1907年
【W杯出場】 7回
【五輪出場】 1回
【欧州選手権出場】 0回
【過去の有名選手】 シンデラー、オツビルク、ペッツァイ、ポルスター、ヘルツォーク
【現在の監督】 ヨーゼフ・ヒッケルスベルガー
【現在の有名選手】 バスティッチ、ハース、マニンガー
【FIFA略称】 AUT
【FIFA世界ランキング】 75位
“音楽の都”ウィーンで有名なオーストリア。モーツァルトの出身地である。国名の「Osterreich」はドイツ語で“東の国”を意味する。ドイツの南東、ヨーロッパ大陸のド真ん中に位置し、国土は8ヶ国と隣接している。1914年に第一次世界大戦勃発の舞台となり、1938年にはドイツに併合され、1945年から米国、英国、フランス、ソ連に分割占領された。1955年に占領から独立し永世中立国を宣言しているが、1995年のEU加盟によりこれは形式化しているといえよう。民族的にはゲルマン系が8割以上を占める。
現在、サッカーの強国としての認知度は低いが、第二次世界大戦前は欧州有数の強豪であった。後に“ムッソリーニの大会”として知られることになるイタリアW杯が開催されたのは1934年。この大会前、シンデラーやビカンら優れた選手を揃え“ブンダー・チーム(驚異のチーム)”と呼ばれたオーストリア代表は優勝候補の筆頭に挙げられていた。しかし、不運な悪天候の巡り合せや頼りない審判たちにより、準決勝で開催国と対戦したオーストリアも、他の強国がそうであったように“ムッソリーニのイタリア”の前に沈んでいる。1936年、ヒトラーの大会といわれるベルリン五輪では決勝でまたしてもイタリアの前に屈した。
ちなみに、次の大舞台にあたる1938年のワールドカップにオーストリアは出場していない。ドイツに併合され国自体が消滅していたからである。ユダヤ人であったオーストリア随一のスター選手マティアス・シンデラーは、1939年に将来を悲観し自殺している(しかし、証拠は残っておらず、他殺説もある)。いつの時代もサッカーは政治の影響を受けてしまうものだといわれるが、これほどファシズムの犠牲になった代表チームも他にないのではなかろうか。
ブンダーチーム以降だと、1954年W杯スイス大会においてオーストリア代表を史上最高の3位へと導いたメンバーで、キャプテンとして攻撃にも守備にも貢献した左利きのセンターハーフであるエルンスト・オツビルク、ウィングからDFまでこなすユーティリティープレイヤーだったゲアハルト・ハナッピ、後に監督としても偉大なるキャリアを築いたエルンスト・ハッペルらはよく知られている。
また、1970~80年代には、“アルプスのベッケンバウアー”と呼ばれたハードなDFブルノ・ペッツァイや点取り屋のハンス・クランクル、1990年代にはオースラリア代表の最多出場試合と最多得点の両方を記録したアントン・ポルスターや“アルプスのマラドーナ”こと左利きのテクニシャンであるアンドレアス・ヘルツォークといった有名選手を輩出している。
しかし、近年に限れば、あまり目立った選手が現れていないというのも事実である。それどことろか、21世紀に入ってからは、W杯及び欧州選手権の本大会で代表チームを観ることさえできていない。さしあたっては、スイスと共催する2008年欧州選手権で健闘することが最大の目標であろう。
投稿者 lifestyle : 09:22 | コメント (0)
スコットランド

《正式名称》 Scotland ( Alba )
《ユニフォームカラー》 紺/白/紺
【通称】 Scotland
【首都】 エディンバラ
【言語】 英語 , スコットランド・ゲール語![]()
【国土】 78,789 km2
【人口】 558万人![]()
【協会創立】 1873年
【FIFA加盟】 1910年
【W杯出場】 8回
【五輪出場】 0回
【欧州選手権出場】 2回
【過去の有名選手】 アレックス・ジェームズ、デニス・ロー、ブレムナー、ゲメル、ダルグリッシュ
【現在の監督】 ウォルター・スミス
【現在の有名選手】 ヘンドリー、ダンカン・ファーガソン、バリー・ファーガソン
【FIFA略称】 SCO
【FIFA世界ランキング】 62位
英国の一地域だが、サッカーの世界では英国4協会の中でイングランドに次ぐ国として扱われている。大きなタイトルこそないが、ワールドカップ本大会出場8回とコンスタントに顔を出している。歴代の名手たちを見ても、1930年代のアーセナルを支えたアレックス・ジェームズ、1960年代のマンチェスター・ユナイテッド黄金期のエースだったデニス・ロー、1970~80年代のリバプール黄金期のエースだったダルグリッシュらは、イングランドを代表する名門クラブの伝説的スターとなった。
現在も選手・監督共に多くの人材をイングランドのプレミア・リーグへ輩出していて、特筆すべきはマンチェスター・ユナイテッドの名将サー・アレックス・ファーガソン、エバートンのモイーズ、ニューキャッスルのスーネスなど、リーグを代表する名物監督を多く抱えていること。かつてマンチェスター・ユナイテッドでボビー・チャールトン、ジョージ・ベスト、デニス・ローらを率いていたサー・マット・バスビーも、リバプールに3回のリーグ優勝と2度のFA杯優勝をもたらし黄金時代の基礎を築いたビル・シャンクリーもスコットランド人である。
ちなみに、昔から大抵のスター選手はイングランド・リーグでプレーしているが、国内リーグも盛んで、強烈なライバル関係にあるグラスゴーの二強、セルティックとレンジャーズは共に欧州カップ獲得経験がある欧州有数の名門クラブ。ファン層が分かれていてセルティックはカトリック、レンジャーズはプロテスタントという構図であると一般的に見られていて、グラスゴーの街を二分する両チームの対決「オールド・ファーム」は世界有数のダービー・マッチとして広く知られている。2005年夏、中村俊輔のセルティック移籍で、とうとうスコットランド・リーグ初となる日本人選手が誕生することとなった。
※国名表記は左が英語で右の()内がスコットランド・ゲール語のもの。ちなみに、“Alba”の読みは“アルパ”。
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トーゴ
《正式名称》 Republique Togolaise
《ユニフォームカラー》 白/緑
【通称】 Togo
【首都】 ロメ
【言語】 フランス語
【国土】 56,785 km2
【人口】 543万人
【W杯出場回数】 0回
【五輪出場回数】 0回
【アフリカネーションズカップ優勝】 0回
【過去の有名選手】 -
【現在の監督】 ステファン・ケシ (ナイジェリア)
【現在の有名選手】 アデバヨル、オルファデ
【FIFA略称】 TOG
【FIFA世界ランキング】 56位
※新規追加
アフリカはギニア湾に面した元フランス領の小国の一つ。ガーナやベナンの並びに位置する。サッカーの世界では全くといっていいほど実績がなく、有名選手もASモナコに所属するエースFWアデバヨルくらいのもの。
最も注目されているのは監督のナイジェリア人ステファン・ケシであろう。現役時代は、アフリカ人選手のパイオニアとして欧州リーグで活躍し、今回はアフリカ人監督のパイオニアとしてその名を刻もうとしている。
さきの2002年コリア・ジャパン大会でノー・マークのセネガルが快進撃を披露したように、近年着々と力を伸ばしているアフリカ勢には未知数な部分が多い。セネガル同様、トーゴの選手もフランスなどの欧州リーグでプレーしている選手が少なくなく、チームとして纏まり、物怖じしなければ良い結果も期待できるだろう。
ちなみに、トーゴがアフリカ予選のグループリーグで競り勝ってきた相手は、他でもない、前回大会で躍進したセネガルであった。
投稿者 lifestyle : 08:40 | コメント (0)
2005年08月05日
ニュージーランド
《正式名称》 New Zealand
《ユニフォームカラー》 青/白
【通称】 New Zealand
【首都】 ウェリントン
【言語】 英語、マオリ語
【国土】 268,680 km2
【人口】 395万人
【W杯出場回数】 1回
【五輪出場回数】 1回
【OFCネーションズカップ優勝】 3回
【過去の有名選手】 ウィントン・ルーファー
【現在の監督】 -
【現在の有名選手】 ダニー・ヘイ
【FIFA略称】 NZL
【FIFA世界ランキング】 118位
オセアニアにおいて唯一、オーストラリアのライバルになりえる存在。オーストラリアと違い、現在、世界的な選手は皆無でサッカーよりもラグビーのほうが盛んだが、ワールドカップ出場回数は同じ1回、OFCネーションズカップでもオーストラリアの4回に次ぐ3回優勝の実績を持つ。
ニュージーランドというよりオセアニア史上最高の選手であるとも評価されるウィントン・ルーファーが最大のスター選手。弱小国ニュージーランドを1982年ワールドカップ本大会へ導き、大会後はヨーロッパのリーグでもプレーした。ドイツのブレーメン時代には主力として、ブンデス・リーガ優勝1回、ドイツ・カップ優勝2回に加え、欧州カップ・ウィナーズ・カップ優勝も1回経験している。その欧州カップ・ウィナーズ・カップ決勝戦、2-1で勝利した試合の決勝ゴールを決めたのはルーファーであった。
投稿者 lifestyle : 14:22 | コメント (0)
北アイルランド

《正式名称》 Northern Ireland
《ユニフォームカラー》 緑/白/緑
【通称】 Northern Ireland
【首都】 ベルファスト![]()
【言語】 英語
【国土】 14,148 km2![]()
【人口】 172万人
【協会創立】 1880年
【FIFA加盟】 1911年
【W杯出場】 3回
【五輪出場】 0回
【欧州選手権出場】 0回
【過去の有名選手】 ブランチフラワー、ジェニングス、ジョージ・ベスト
【現在の監督】 ローリー・サンチェス
【現在の有名選手】 ギレスピー、ヒーリー、アーロン・ヒューズ
【FIFA略称】 NIR
【FIFA世界ランキング】 98位
英国4協会の一つではあるが、その名の通り、アイルランド島の北部に位置する地域。首都はベルファスト。かつてIRAで有名だったが、現在は和平合意もなされてテロ活動も収まっている。
サッカーでは過去にジョージ・ベスト、ジェニングス、ブランチフラワーなど、イングランド・リーグで活躍したトップスターを生み出してはいるが、代表・クラブ共にイングランドやスコットランドには敵わず、目立った結果は残せていない。
初出場となった1958年ワールドカップ・スウェーデン大会で、ダニー・ブランチフラワーを中心としたチームがベスト8へ進出したのが最高の成績だろう。ちなみに、いちおうサッカー協会の設立は世界で4番目、国内リーグの創設は世界で3番目という歴史を誇っている。
現在は世界的なスター選手を有しておらず、W杯や欧州選手権の本大会に顔を出す確率も極めて低いという状況だが、これも人口200万人にも満たない一地域であることを考慮すれば、仕方ないことなのかもしれない。